プログラム 
  T

  U

  V
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  X
4つのマズルカ                         F.タレガ(1852−1909)
  マリエッタ/夢/アデリータ/マズルカト短調
タレガ賛歌                           J.トゥリーナ(1882-1949)
  ガロティン/ソレアレス
ファンダンギーリョ                       J.トゥリーナ(1882-1949)
セヴィリア幻想曲                        J.トゥリーナ(1882-1949)
アルゴ                              F.ドナトーニ(1927-2000)
< 休 憩 >

  U


  V
「クラヴィア練習曲集 第1部」より              J.S.バッハ(1685-1750)
 パルティータ No6
  トッカータ/アルマンド/コレンテ/エアー
  サラバンド/テンポ・ディ・ガヴォット/ジーグ
 パルティータ No1
  プレリュード/アルマンド/クーラント
  サラバンド/メヌエットTU/ジーグ


曲目解説                                        高橋 望

4つのマズルカ 
  「近代ギター音楽の父」などと讃えられるタレガの功績の一つとして、それまでギタリストの自作品だけで占められていたギターのレパートリーに、編曲という手段で他の楽器の優れた作品を加えたことが挙げられる。またそれらの作品を手本としてタレガ自身も、その多くが小品ながらギターの音色を最大限生かした魅力的な作品を生み出した。夭折した娘の哀しみに捧げた<マリエッタ>、大らかな憧れに満ちた<夢>、シンプルな高音が可憐な<アデリータ>、もっとも深い情緒に揺れる<マズルカ・ト長調>。タレガはショパンの作品を10数曲編曲しているが、これらはそのショパンのマズルカに思いを重ねたものであろうか。

タレガを讃えて、ファンダンギーリョ、セビリア幻想曲
  タレガの編曲によって大きくレパートリーを広げたギターだが、20世紀最大のギタリストであるセゴヴィアはそれだけに満足せず、ピアノや管弦楽の作曲を手掛ける「ギタリストではない作曲家」にギター曲を創作させることに力を注いだ。その一人、スペイン近代を代表する作曲家トゥリーナは5曲のギター曲を作曲したが、いずれもフラメンコを素材にしている。フラメンコの代表的な形式<ガロティン><ソレアレス>を、あえてフラメンコには興味を示さなかった前出タレガの<賛歌>とした真意は不明だが興味深いことではある。闇の静けさと炎のきらめきを併せ持つ<ファンダンギーリョ>は近代のギター作品群の中でもとりわけ傑出したものの一つ。トゥリーナはセゴヴィアの作曲依頼に当初、それまでギタリスト以外の作曲家のギター曲が誕生しなかった最大の理由である”ギターの機能がよく分らない”ことを挙げ、良い返事をしなかったが、”弓の代わりに指で弾く、6弦のヴァイオリンを考えてくれれば…”とのいささか強引なセゴヴィアの求めと助言により誕生したのが、情熱的な掻き鳴らしを効果的に取り込んだ初めてのギター曲<セビリア幻想曲>。1923年のことである。

■アルゴ
  セゴヴィアなどのギタリストによって開拓されてきた、伝統的な和声法・作曲法に基づく、いわばオーソドックスなギターのためのオリジナルな作品とはまた別に、1920年にシェーンベルクが室内楽にギターを用いたのを出発点として、無調ないし十二音技法を主体にした現代音楽の大家たちのギターに寄せる関心は、すぐれたギターのための作品を生み出している。2000年に亡くなったドナトーニは、同国イタリアのベリオ、ノーノと並ぶ現代音楽の大家。1977年に作曲された<アルゴ>は、約4分半と6分半の2曲からなり、<T>は突然のアクセントや瞬時の休符(間合い)、その合間を縫う衝撃音や早いパッセージなどが、切迫する強い緊張感を生み出す。対照的に<U>は穏やかな単音で開始され、楽器の各所を叩く音が合いの手のように静かに呼応する。後半には細かい動きも現れるが、あくまでデリケートな温もりを保ちつつ曲は閉じられる。伝統的な長・短の調性や定型的なリズムだけでは到底伝えられない、我々の生きる<現代>という時代が持つ矛盾や閉塞感…それを表現しうる「現代音楽の大家による無調的なギター曲」を石村洋は毎回レパートリーに加えているが、これだけの鋭敏さと深い響きを持ちながら殆ど演奏される機会のない<アルゴ>が本日取り上げられたことはとくに喜ばしい。

パルティータ第1番、パルティータ第6番
  当夜のリサイタルの前半で取り上げられた「スタンダードなギターのオリジナル作品」、「現代音楽の大家による無調的なギター曲」、この二つと並んで石村洋のレパートリーの重要な柱を成すのが「歴史上の大作曲家のピアノ=鍵盤作品からの編曲」であることは毎年このプログラムへ寄稿するたびに触れてきた。今年はこれまで手掛けてきた古典〜ロマン派のピアノ曲に1拍の休止を置き、バロック音楽の統合者バッハのチェンバロのための≪6つのパルティータ≫から<第1番>と<第6番>が選ばれている。これは今一度西洋音楽の源流ともいうべきバッハに立ち返ること、これまでギタリストが盛んに手掛けてきたバッハのヴァイオリン、チェロ、リュートのための作品ではない「ギターによるバッハの鍵盤音楽」という新たなレパートリーを開拓すること、そして全10指で打鍵されギターより遥に広い音域をもつ鍵盤楽器の演奏能力に対し、”和声を構築できる弦楽器ギター”の豊かな歌と音色変化のニュアンスを生かした、鍵盤では表せないギターならではのバッハの可能性を目指してのものと思われる。規制の楽譜に基づいてはいるが、ギターでこの2曲が続けてステージで演奏されるのは、極めて貴重で意欲的なことと言えるだろう。
 <パルティータ第6番>(原曲も同じホ短調)は即興的なパッセージの連続とフーガからなる<トッカータ>、細やかに流れる<アルマンド>、より繊細な動きに終始する<クーラント>、歌と舞曲の性格を併せ持つ短い<アリア>、トッカータ冒頭を回想する荘厳な<サラバンド>、跳躍を交えつつ舞う<ガヴォット>、そして終曲<ジーグ>は決然と締めくくられないところに、反ってバッハの音楽の無限に続く深遠さを感じさせる。
 一方<パルティータ第1番>(原曲は変ロ長調、ギターではニ長調)は全体に明朗で穏やかな曲調を帯び、流麗な導入を成す<プレリュード>、中庸な速度と落ち着きを持った<アルマンド>、軽妙で愛らしい<メヌエット>、アルペジョの連続が軽やかな楽想を形作る<ジーグ>で構成されている。

 
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