曲目解説 高橋 望
■メルツ:大幻想曲
メルツはハンガリーに生まれ、ウイーンを中心に活躍した19世紀のギタリスト。ピアノや管弦楽を中心に、規模・音量が巨大化するロマン派音楽の時代にあって、名技的なテクニックと大胆な楽想を、10弦ギターの上に生かしてこれに対峙しようとした。作品の多くは近年まで忘れられた存在だったが、当時の楽器(19世紀ギター)やメルツ本人への研究が進むにつれ、一部の曲はしばしば今日のコンサートプログラムを飾るようになっている。しかしこの〈大幻想曲〉は充実した内容にもかかわらず、殆ど演奏する人がいない。切れ目ない4部分で構成され、威厳ある冒頭部がアルペジョやトレモロによって発展する〈マエストーソ〉、伸びやかなカンタービレがやはり即興的なパッセージで装飾されていく〈アンダンティーノ〉。そしてハーモニックスの響きを生かした〈アンダンテ〉と、急速なアルペジョの〈アレグロ・ブリランテ〉の短い2章で全曲が締めくくられる。この華やかでロマンティックな作品を、石村 洋は既に1976年のデビューリサイタルで取り上げており、当時から他のギタリストにはない慧眼を持っていたことに驚く。ロマン派の作曲家たちはそれまで最も重要な器楽形式だった〈ソナタ〉から、より自由な世界への飛翔を求め〈幻想曲〉を作曲した。その先駆となったのがベートーヴェンで、〈ソナタ〉の中に〈幻想曲〉的性格を表現しようとした作品は、当夜コンサートの最後に聴かれる。
■カステルヌオーボ=テデスコ:ソナタニ長調
1895年フィレンツェに生まれたテデスコ(正しくはカステルヌオーボ=テデスコ)は、12音技法によって現代音楽の扉を開いたシェーンベルクよりおよそ20歳若い。つまり現代の作曲家だが、作品の多くは明確で美しい旋律と和音によっており、リズムと調性が解体されたいわゆる現代音楽の作曲家ではない。20世紀は、メルツのような名人ギタリストの作品だけでギターのレパートリーが占められていた時代から、ギターを弾かない(ピアノや管弦楽の創作を手掛ける)作曲家が優れたギター曲を書くようになった時代だが、3つの協奏曲を含めギターのために数々の大作を創作したテデスコは、質量においてその筆頭に挙げられる。とりわけ多くのギタリストが取り上げるこの〈ソナタ〉は、石村 洋もデビューリサイタルで演奏しており、いわばコンサートギタリストにとって試金石的な作品である。生気に富むリズム主題の反復と展開を中心とした〈第1楽章〉、メランコリックな叙情が香る〈第2楽章〉、メヌエットの足取りと優美な中間部を持つ〈第3楽章〉、激しいヴィルトゥオジティが炸裂する〈第4楽章〉。ロマン派の時代から近現代へ移行するに従い〈ソナタ〉は作曲形式としてはあまり重んじられなくなってくる。しかしそれまで充実した〈ソナタ〉を持たなかったギターだけに、このテデスコの〈ソナタ〉は重要である。あらゆるギターのためのソナタ中、最高位に位置する作品と言えるだろう。
■ヘンツェ:王宮の冬の音楽
へンツェは今年81歳で健在な現代音楽の大家である。12音技法から出発したが、それに固執せず、交響曲など伝統的な作曲様式の中でも創作を行ない、ギターを用いた室内楽に2つの大きな作品がある。1976年に作曲された〈王宮の冬の音楽〉は、ギター独奏曲としては現代屈指の大作で、シェイクスピア劇の登場人物に楽想を得た6楽章からなる。リチャードV世の怒りが、発作的な音形と激しいパーカッションに爆発する〈グロスター〉。恋人たちの行き場のない憂愁が漂う〈ロミオとジュリエット〉。急速なパッセージで妖精が飛翔する〈エアリアル〉。水に沈んだ恋人の死に諦念の歌が響く〈オフィーリア〉。道化役者演ずる劇的な起伏と変化に富んだ〈オードリーとタッチストーン〉。妖精の王の夢がエピローグのように遠ざかっていく〈オベロン〉。石村 洋は、当節人気の現代フュージョン系ギタリストの作品にはあまり関心を示さず、より音楽の深みにある現代音楽の大家たちの作品を紹介し続ける。この作品の不規則なリズム・断片的なパッセージの間に挟まれた叙情的な美しさを聴き逃してはならない。全体のタイトルに〈ソナタ〉と添えられているのは、6曲が単なる描写音楽ではなく、純音楽としての大規模な器楽曲であることを示唆しているのだろう。テデスコ作品のような形式としての〈ソナタ〉はもはやここにはなく、その意味ではこれも一つの〈幻想曲〉と言うことができるかもしれない。
■ベートーヴェン:ソナタ第14番〈月光〉Op.27‐2
バッハと並び西洋クラシック音楽の頂点をなす楽聖ベートーヴェンは、交響曲、ピアノソナタ、弦楽四重奏曲などに革命的な傑作の数々を誕生させ、孤高の音楽精神を打ちたてた。僅かにギターとの接点が見出せるバッハが、ギタリストにとって大きな信仰対象になっているのに対し、ベートーヴェンの音楽はギターには近寄り難いかのような存在である。しかし、かねてより歴史上の大作曲家のピアノ曲をギターの弦上に再現することに情熱を燃やしてきた石村 洋は、ここに初めてベートーヴェンのピアノソナタ全楽章演奏に挑む。諸説あるが、伯爵玲嬢グィチュアルティに奉げられ、詩人レルシュターブが〈月光〉と呼んだと伝えられる、この〈ソナタ第14番〉Op.27‐2をベートーヴェン自身は、旧来の〈ソナタ〉に新たな世界を切り開くべく〈幻想曲風のソナタ〉と命名している。深い想念の広がりが果てしなく続く〈第1楽章〉、落ちついた佇まいが逆に終楽章の爆発を暗示するかような間奏曲風の〈第2楽章〉、嵐のようなパッセージの連続に精神の最高度の燃焼を示す〈第3楽章〉。機能上ギターがピアノと同じ演奏をするのは不可能である。それだけに石村 洋の妥協ない編曲・演奏も注目されるところだが、同時に我々はベートーヴェンの精神世界とギターに注ぎ込まれる、演奏者の限りない愛情にこそ心と耳を傾けるべきだろう。〈幻想曲〉〜〈ソナタ〉で括られた当夜のコンサートはここに完結する。
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