曲目解説に代えて
この数年来クラシックギターの普及活動の一環として、「ギターとひととき」というコンサートをしてきました。そこでは、映画「禁じられた遊び」のテーマ愛のロマンスで始まり、アルハンブラの思い出で終わるようにプログラムを組んでいます。ここでも、皆さんに自然にギターの世界に入ってもらえるよう、そうしてみました。
今日、私たちの音楽
石器時代の壁画以来の造形芸術、もっと後に生まれた古代の文学などは、現代人にも通用する新鮮な喜びと、それどころか、時には人生に大いなる示唆を与えてくれるものでもあります。色々な芸術作品が製作されてから今日に至るまで、現役の作品として鑑賞されてきたと思います。では、私たちの芸術音楽はどうでしょうか?。音楽もまた、私の想像するところでは、人類発生と同じくらい古くからある活動だと思います。ところが、他の芸術分野と違って、古代の音楽は著しく見劣りのするものではないかと思います。(日本に残る雅楽という驚異的な古代の芸術音楽は世界中で唯一の例外ではありますが。)
中世までのすぐれた音楽とは、すぐれた詩に付属した単なるメロディーのことでした。音楽が文学を離れ独立した芸術としての歩みを始めたのは、中世末期のことだと思います。だから、極言すればそれ以前の音楽は今日私たちが音楽と呼んでいるものとは全く別物だったといえます。初期の芸術音楽の象徴的な作品には、ギヨーム・ドマショーのノートルダムミサなどがあります。音楽の歩みも最初は、ごくゆっくりしたものでした。急速な発展を始めたのはようやくルネサンス頃になってからです。
音楽、近代の申し子
ルネサンスといえば、もはや私たちの時代、近代の始まりのときです。人文復興などといわれ、古代のギリシア・ローマ文化への復帰ともいわれましたが、実は人類史上初めての時代が始まったのです。これより後、人々は呪術や迷信の渦巻く世界を脱出し、一人一人の精神に宿る理性の力をたよりに船出することになったのです。
それ以後、民主主義、自然科学をはじめとする近代的学問、人権の尊重、技術の発展、産業の発展、それらに伴う豊かな暮らし、など現代の私たちには当然のように与えられているものが、長い戦いの末に勝ち取られたのです。芸術の様々な分野にも近代以前と近代以後を明らかに画する質的な違いがあるものと思います。芸術は祭儀や、共同作業にともなうものから、明らかに個人の内的経験や、自立した人間の美的価値を表現する方向へと変化していきました。
全ての近代的精神状況を、私は人間理性の働きと結び付けて考えています。
その中で、音楽はより深い表現方法を獲得するために、近代に至って、一から作り直されたものと思っています。その意味で私は、音楽を近代の申し子の一人と考え、民主主義、自然科学の兄弟だと思っています。
近代の精神と大作曲家
アマデウス・モーツァルトはザルツブルグの大司教のもとを離れ、ウィーンに出て宮廷での就職活動もうまくいかず、結局は自営業者として生活することになります。その後、モーツァルトの父と同じ世代のハイドンも晩年にはハンガリーの大貴族の下を離れイギリスで職業作曲家として大成功を収めます。ベートーヴェンは初めから貴族や教会のおかかえ音楽家になることはなく、自営の音楽家として生涯を送りました。時代は貴族や教会が支配する封建時代から、市民社会への移行期の真只中でした。バッハまでの作曲家は旧時代の社会体制の中を生きた音楽家ですが、私たちの大作曲家の大部分は近代的市民社会を生きた芸術家でした。その意味で、音楽が近代の産物だったように、音楽家もまた近代人でした。
そうして、このころから音楽のみならず芸術全般の価値は、支配者の権威を飾り立てるものから、人間の自由の表現としていや増しに高められていきました。哲学者のバウムガルテンが作り上げた「美学」という学問は芸術が自然科学をはじめとする諸学問と肩を並べる存在であることを学問の側から表明した出来事でした。バッハ、ベートーヴェン、ブラームス等々の大作曲家は、ルソー、ニュートン、リンカーン等々と共に近代の自由への精神を作り上げた偉人たちだと思います。
本日のプログラムについて
最初にアンドリュー・ヨーク、ローラン・ディアンスという現役のギタリストで才能ある作曲家でもある二人の作品と、編曲を取り上げました。現在は、この二人のように有能な作曲家でもあるギタリストが世界中に多数輩出し、ギターにとっては大変喜ばしい時代でもあります。ところが、クラシックギターがこの世に現れてから約300年になりますが、これほど優秀な作曲能力のあるギタリストが数多く出現したということはほとんどなかったように思います。
その次に取り上げた、ソル、メルツ、タルレガは大雑把にいって200年前、150年前、100年前のギタリストで、同時代の同業者の中で数少なく傑出した作曲家でもありました。こうしてみると、ギター音楽はギタリストしか作曲しなかったのかという疑問を抱かれるかもしれませんが、それは大体において真実だったのです。専門的作曲家は昔からギターのためにほとんど作曲していないのです。したがって大作曲家たちは残念ながら、誰一人ギターのために見るべき内容の作品をのこしてはいません。
ソル、メルツ、タルレガなどのギタリストもまた近代の音楽家として努力を惜しまず、同時代の先進的な音楽を学び、ギターが普遍的な芸術表現に適した楽器となるように育て上げました。今日のプログラムではそんな彼らの努力の足跡の一部を紹介したいと思います。したがって、彼らが研究した大作曲家の作品からの編曲をも半分くらい入れてみました。
次に紹介するセゴヴィアは現代ギター奏法を確立したギタリストで、私たち現代のギタリストの師といってもいい人物です。セゴヴィアは専門のギタリストであって、作曲家ではありません。けれどもそれが幸いして、セゴヴィアは非常に多くの専門作曲家に働きかけ、その協力を得てギターのためのレパートリーを増大させました。ギタリストでない一流の専門作曲家が心血を注いでギターのために作曲するということは、未曾有のことです。その一例としてセゴヴィアの協力者のひとりだったヴィラロボスの前奏曲を弾きます。これ以後、事例としては大変少ないのですが専門作曲家もギターのために作曲することが常に行われるようにもなりました。けれども今日でも専門作曲家の多くの方はギターという楽器を多少バカにした思いで眺めているのではないでしょうか。これはギターという楽器のせいではないのです。私たちギタリストにその一因があるのだろうと恥じ入るばかりです。セゴヴィアはまた一方で大作曲家の作品の編曲をもてがけました。今日はその中でも、セゴヴィアが演奏したことで当時一大センセーションを巻き起こしたバッハのシャコンヌを演奏します。ただし今日の編曲は、私のものです。この曲の演奏形態に常々疑問や不満を抱いてきた私なりの研究の成果で、この音楽の持つ基本構造をできるだけ明晰にあぶりだすことに心を尽くしました。
最後に数年前に亡くなった現代の大作曲家のひとり武満徹の作品とモーツァルトのピアノ曲からの編曲を演奏します。
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