フルート アンド ギター デュオ

36回定期演奏会

 
 
父 ヨハン・セバスチャン

   
長男 ウィリヘルム・フリーデマン  
   
  次男 カール・フィリップ・エマヌエル
 
 2010年131日 午後2

狭山市民会館小ホール
 
 主催:フルートとギターの会

後援:狭山市教育委員会  狭山市文化団体連合会
 
 
            
                           ごあいさつ

 1月の最後の日曜日、寒い中ご来場ありがとうございます。本年が喜びの多い、そこかしこ明るい笑顔の満ち溢れた年になりますように。
 今まで36回の定期演奏会はデュオ演奏を中心に行ってきましたが、ゲストをお招きしたことも何度かありました。若い女流フルーティストに来ていただくのは久し振りです。岡山映子さんのこれからの活躍にご注目ください。
 今回のプログラムは、特に意識したわけではないのですが「バッハ」の作品が多くなりました。大バッハとその2人の息子達の音楽を演奏しますが、フルートという楽器のレパートリーにとってはごく自然なことだと思います。
 古典時代のギタリスト、カルリの作品にもご注目ください。名曲・傑作の類いではありませんが、ギタリスト達は、200年も前から普通にフルートとのアンサンブルを頻繁に行って来ました。が、私達がフルート&ギターデュオの活動を開始したときにはその伝統はすっかり絶え果てていたように思います。
 今日フルートとギターのアンサンブルが隆盛を極めている背景には、私達の力も少しは働いていたのではないかと思います。

                      フルートアンドギターデュオ 平田公弘 石村 洋 
 
 

石村による主観的な曲目解説

 コンサートで、私の密かな楽しみの一つは、プログラムを貰って曲目解説を読むことです。中には、ごく稀ではありますが、通り一辺の解説で無く、音楽の意味するものを深く掘り下げ、明快に説明してくれるような文章に出会うことがあります。その一例ですが、横浜のギタリスト興津典明さんのコンサートに行ってみてください、興津さんのお話やプログラムに付いている曲目解説は、綿密な考証に基づいたもので、音楽の意味について、いつも私は目を見開かせて貰ってます。ところで私にはそんなすばらしい文章を書くことは出来ません。第一、色々な歴史的事実を間違えなく調べ上げることなど到底出来ないことです。それでも音楽を演奏するときには、何かを自分なりに理解し、感じ、それを表現しようとしています。

 そんな演奏者による曲目の理解や思いをお伝えすることは、皆様にとってあながち興味の無いことではないと思います。これは、そんな意味での解説です。くれぐれも私の言っている歴史的事実に関してはそのまま信じることなく、疑いの目をもって読んでください。

「羊らは安らかに草を食み」カンタータ208番より(J.S.バッハ)

私にとってカンタータとはお芝居の無い小オペラです。カンタータを作曲した作曲家は無尽蔵にいたと思いますが、大概の音楽ファンにとって「カンタータを聴く」ということは「バッハのカンタータを聴く」ということと同義ではないでしょうか。

バッハはプロテスタント教会で礼拝時に演奏される教会カンタータを約250曲作曲したといわれています。教会音楽といっても礼拝の中で単に粛々と演奏されるだけの音楽ではなく、人々はオペラを聴くような悦楽に浸ったことでしょう。中々庶民が本格的な音楽を聴く機会が無かった時代、教会に来れば美術にしろ音楽にしろ最高の芸術に触れることができました。

ところで、「羊らは安らかに草を食み」は、まるで教会カンタータのようなタイトルですが、世俗カンタータというジャンルの音楽です。これは狩猟がことのほか好きだった神聖ローマ帝国ザクセン選帝侯の誕生日を祝って、神々が侯爵を褒め称えるという、権力者に媚びへつらうような音楽で、通称「狩のカンタータ」といわれる楽曲の中の一曲です。当然、庶民は聴くことの出来なかった音楽だと思いますが、何でも所有出来た権力者を喜ばせるほどの音楽を、その気になれば誰でも簡単に聴ける民主主義の時代に生きることを幸せに感じます。


G線上のアリア」管弦楽組曲第3番(BWV1068)より(J.S.バッハ)

 本当は単に「アリア」というのが正しいのでしょうが、私は昨今のヴァイオリニストはピアノ伴奏でこの曲を弾くのにG1本で弾くのが多いのか、そうでない場合が多いのかよく知りません。皆さんも、ヴァイオリンで聴くときはそんなことに注目しながらこの曲を聴いてみてはいかがでしょうか。また、演奏家の人がそのようにする理由を考えることも。


フルート・ソナタ イ長調」 BWV1032J.S.バッハ)

 バッハ以後、19世紀の半ばにテオバルト・ベームがフルートの大改造を成し遂げるまで、フルートのための音楽であまり目覚しい作品はなかったようです。それというのも、ベーム以前のフルートは現代の楽器に比べてはるかに使い勝手の悪いものだったようです。ところが、バッハのフルートソナタは現代のフルートをもってしても相当演奏が難しいようです。バッハの時代、彼の周辺にはよほどの名手がいたものと思われます。もちろん本日只今、元々はピアノのような両手の10本指を自在に使って演奏するこの曲を、ギターでも美しく演奏できるはずだと信じて疑わない、そうしてそんなことばかり懲りもせずに続けてきたギタリストはほとんど現実感覚の無い人間だと言ってまず間違いありません。しかし、何十年も「そんな音楽、ギターで演奏するべきでは無い」とある意味で熱心なギターが好きな人たちに会うたびに言われ続けている私としては、そんな後ろ向きの意見に屈する訳にはいかないのです。無視せずに、言ってくれる人はまだしも親切な人ではありますが。


2本のフルートのためのソナタ(ヴィルヘルム・フリーデマン・バッハ)

 バッハは2人の妻との間に20人ほどの子供をもうけました。子供が成人するまで生き残るのが大変な時代でした。成人したのは10人でした。男の子は6人いましたが、4人は音楽通の人にとって現在でもかなり有名な作曲家です。

 長男ヴィルヘルム・フリーデマンはバッハの息子たちのなかで一番、音楽的才能があったともいわれていますが、ドレスデンとハレの教会オルガニストを勤めました。甘やかされて育ったために自立的に人生を切り開くことが出来なくて不遇な生涯だったともいわれていますが、よく分かりません。当時としては長生きの73歳まで生きました。フリーデマンは音楽的にも父親の影響下から自立することが出来なかったとも言われています。平田さんと岡山さんの練習を聴かせてもらいました。確かに父親の音楽のスタイルにそっくりですね。しかし、どこまでも迷い無く神的世界からやってきたような父の音楽と違って、旋律素材などにはどこか古典派時代の人間的世界の音楽が感じられる気がしたのですが皆様はいかがでしょうか。


ハンブルグソナタ ト長調(カール・フィリップ・エマヌエル・バッハ)
 大バッハの息子たちのなかで一番出世したのが次男のカール・フィリップ・エマヌエルでした。エマヌエル・バッハは、およそ100年後に、中世以来800年も続いた神聖ローマ帝国に替わってドイツを統一するプロイセン王国の基礎を作り上げたフリードリヒ2世大王に仕え、宮廷楽師として音楽好きだった大王のフルートの伴奏者なども勤めました。また後にはハンザ同盟の中心都市ハンブルグ市の音楽監督になりました。その地位には当時のドイツ音楽界の第1人者だったゲオルク・フィリップ・テレマンが亡くなった後をついでの就任でした。
 大バッハの没後から、音楽史上最大の謎である「ソナタ形式」という音楽形式を確固不動のものにしたウィーン古典派のヨーゼフ・ハイドンが頭角を現すまでの間を、音楽史では前期古典派時代といっていますが、その間にどんな出来事があったのか私はよく知りません。すでにバロック時代を脱して前期古典派時代に入っていたエマヌエルのハンブルグ時代、ソナタ形式を模索しながら、物事をすっきりと分析的な形で見る精神、知的な古典的世界観に根ざしたこの曲は大変興味深く思われます。



四月のソナチネ(ジャック・カステレーデ)
 
ジャック・カステレーデは1926年生まれのフランスの作曲家です。たったそれだけの情報を得るのに随分苦労しました。これほど優秀な作曲家だったら、もっと名声赫々たる存在であってもいいのに、日本では、ほとんど人に知られることも無く、世の中の評判なんていうものがいかに真理から離れたところにあるかということを如実に実感させられます。けれども、そのお陰で随分と楽しい妄想にふけることが出来ました。妄想にしてはあまりに型どおりの話ではありますが。
  「この人はフランス人のような名前だがきっとカナダのフランス語圏ケベック州の出身に違いない。きっとカナダの国営放送の番組のために委嘱された作品だろう。その番組のタイトルはコープランドの有名な管弦楽曲と同じ『アパラチアの春』というタイトルのドキュメント番組だろう。まず第1楽章は、アパラチア山脈に春が訪れて、山の至る所で小川の氷が解けて水が流れ始めるシーンから始まる。第2楽章では冬眠中に生まれたクマの兄弟と母クマが巣穴の中で目を覚まします。第3楽章、母クマの暖かい懐に包まれて眠る兄弟。母クマが突然、食べ物を探しに行きます。心配した兄弟は母を捜しに巣穴を出てしまいます。最初は何もかも楽しくて、じゃれあって遊ぶ兄弟ですが、外は危険がいっぱい、イヌワシの鋭い眼光も気になります。そうこうしているうちにすっかり迷子になってしまいました。でもやがて母クマと再会。アパラチアの山並みに日が沈みます。幸福な眠りに付く2匹。」という話はまったく信じなくてよいのですが、私自身はこの曲を弾くとき、どうしても2匹の兄弟が頭から離れないでいます。


スペイン舞曲  第12番「アラベスカ」 第2番「オリエンタル」(エンリケ・グラナドス)
エンリケ・グラナドス(1868-1916)は、スペインのピアニストで作曲家です。最近、日本人でもスペイン音楽を専門に弾くピアニストの人が増えてきて、なぜなのかと少々不思議な感じがします。それまではスペイン音楽はギタリストの専売特許でしたのに。しかし、ほとんどドイツ音楽ばかり弾いているギタリストがいたり、スペイン音楽ばかり弾いているピアニストがいたり、これは悪いことではないと思います。

  12
曲から成る『スペイン舞曲集』のうち3曲はギター好きの人には昔から有名でした。特に、第5番「アンダルーサ」は余りに有名で、中級者以上の人は誰でも弾いている曲です。第12番「アラベスカ」、第2番「オリエンタル」もギター独奏で弾かれることはほとんどないのですが、ギター二重奏をする人には定番のレパートリーです。近頃はピアノのオリジナルを聴く機会も増えてきました。しかしグラナドスの心に響いていた音は、フルート2本とギターではなかったでしょうか、と手前味噌を語りました。