001 ロマンス(メルツ) |
どういう切り口で、このページを進めて行ったら良いのか、とてもとても迷っています。このページを読んで下さる皆様は、
ギターの初級者の方と想定していいのだと思いますので、そんな気持ちで進めていきたいと思いまが、果たして、そういう
読み物が出来るのかどうか・・・・
言葉足らずで、よく分らないこともあるかも知れませんが、この曲を上手に弾きたいと思っている方は、どうか頑張って
、私のつたない説明を解読してください。
恐らく、ギターの初級の方は、楽譜に書かれた音符を、どうやったら、ギターの音に直せるか、その事だけで頭の中が
一杯だと思います。そこで、音符を一通り全部ギターで鳴らすことができたら
「もう全部わかった。この曲はもうおしまい。」
と思ってしまう人が余りに多いように思います。
私は、そういう人の力にはなれないと思います。つまり、楽譜に書いてある音が、何弦の何フレットにあるのかと言うことを
お教えする、つまりは、私自身がタブ譜の代わりであるような、ギター教師ではいたくないと思っています。
そういう方の慰めになるかどうかは分りませんが、一言申し上げておきます。
ギターを弾く人は、中級者になっても、上級者になっても、その人が進歩を目指して、それぞれの段階の人が練習するに
相応しい曲に取り掛かっているときは、ただ単に音符をギターで弾くということ自体、滅茶苦茶に難しいものです。
私自身の経験で言えば、色々な音楽、特に現代の音楽の楽譜を目の前にして、その楽譜が全然読めなくて、それをどう
やったら、ギターで弾けるようになるのか、何か月も何か月も思い悩むのです。そうして、それは、日常的に当たり前のこと
なのです。私が「弾けない」という状態は、初級者の人が弾けないのと全く同じです。そのリズムはどうやって弾いたらいいのか
、その和音はどうやったら、ちゃんと鳴るのか、などと言う、皆さんと全く同じことで悩ましいのです。
だから、「中級になったら楽譜がもっと楽に読めるようになるだろう」なんていう夢は、どうぞお捨てになって下さい。中級者も
上級者も、専門家も、その道の名人上手、巨匠に至るまで、みんなギターを勉強中の人たちです。何時まで経っても楽譜を
読むことは難しいのです。
言い忘れました。このままでは初級の方は絶望するだけですね。確かに、中級になったら、初級用の楽譜なんて、すらすら
弾けるようになりますよ。
ともかく、どれほど大変でも、自力で楽譜を読んで一通り弾いてみてください。それは終わりではありません。そこからが
はじまりです。
版権の問題のない、私が楽譜ソフトで打ち込んだ譜面を添付しました。でも、皆さんはこんな読みにくいjpegファイルでなく、
立派な出版譜の譜面をお持ちですね。それを使って練習してください。
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譜 例 1
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T ともかくまずメロディーを理解すること
普通に音楽を聴いている人にとって、音楽には 「メロディーがある」 なんて言うことは考えるまでもなく、当たり前
のことです。
しかし、ギターの譜面を、何も考えず、そのまま音として鳴らしてみると、ギターの譜面には、メロディーも伴奏も
音楽のすべての要素が、1段の5線の中に、すべてが混じり合っていて、何が何だかさっぱり訳のわからないものに
なってしまうのが普通です。
これは、決して冗談で言っているのでも、笑いごとにしたくて言っているのでもありません。実際、ギターを聴いていると
不幸にして、こういう演奏に出会ってしまうことは日常に溢れ返っているのですよ。
ともかく、この曲のメロディーはどんなメロディーなのか、鼻歌でも歌えるようになれば、この曲を曲として弾くための
準備は一応整ったと言っていいものと思います。
ところで、私が「メロディーを歌って」と言う時に、いいたいことの意味は、決して名歌手が、表情豊かに、楽譜に
書かれても居ないのに、
声を引き延ばしたり、
声音(こわね)を使ったり、
こぶしを効かせたり、
微妙な音程を使ったり
ポルタメントしたり、
ヴィブラートしたり、
シャウトしたり
囁いたり 等々
することをいうのではありません。
とりあえず「メロディーがメロディーと分るように」歌ってほしいのです。 2011年11月16日
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では、何もかも混じり合っている複雑なギター譜のどこにメロディーが書かれているので
しょうか。
一応この譜面では符尾が上を向いている音符の高い方の音がメロディーだと思って間違い
ないのですが、すべての曲で、楽譜がそうなっているとは限りません。
メロディーだけの譜面を作ってみましたので。納得のいくまで弾いてみてください。 |
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譜 例 2
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U メロディーがメロディーとして聴こえる方法1――強弱を付ける
ひとつ、ここで注文があります。メロディーを弾くにあたっては、必ず強弱をつけるようにして下さい。音楽に強弱は必ず
必要です。それは、それが必要な第一の理由は、音楽の情緒的な表現のために、必要なのではありません。
それが必要な第一の理由は、「メロディーがメロディーとして」聴こえるために、強弱は是非とも必要なのです。
たとえば、全く強弱のないメロディーは、単に時間軸に従って並列に並んだ音の集合にすぎません。そこでは、互いに
前後する音と音に間に何の関係もなく、たまたま隣り合ってそこに置かれている音という以上の意味は無いのです。
メロディーとは、そういうものではありませんね。メロディーとは、そこに含まれる音が、互いに関連し合い、影響を与え
合って、一つの意味連関をなすものです。メロディーを構成する一つ一つの音を結びつける働きとして、音には一つ一つ
強い音・弱い音の関係がなければなりません。
2011年11月16日
このメロディーにどういう強弱を付けたらいいかというと、一概に決められそうも有りませんが、余り非常識にならない
ことに注意しながら、決めてみてください。参考までに私も強弱を付けてみようと思いますがますが、結構、自由なところ
があって、これが正解というのは見つけにくいメロディーではあります。
ところで、その強弱記号ですが、普通はfとかPとかクレッシェンドなどが、楽譜の大体このあたりという曖昧な場所に
ときどき書かれています。
ところが、音楽と言うのは基本的にすべてが変化の中に覆い尽くされているので、基本は、音楽のあらゆる部分が
クレッシェンドか、デクレッシェンドで弾かれるのが、通常のあり方だと思います。別にそういうことが、音楽や、楽典の
教科書に書かれている訳では無いのですが。
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V メロディーがメロディーとして聴こえる方法2――ギターの特徴を生かして
ギターにはメロディ−と伴奏を弾き分けるための、非常に優れた方法があります。それが
アポヤンドーアルアイレ・システム です。
それは、私たちの音楽文化の中で、もっとも普通に行われている
メロディ-ー伴奏・システム
と絶妙に呼応しているのです。アポヤンドとアルアイレには、単に音量の差だけでなく、それぞれが、旋律/ハーモニー
に相応しい音質のいくつかの特徴があります。
アポヤンド : 音の輪郭線がハッキリしている。演奏されたメロディーをゲシュタルトとして際立たせる。
アルアイレ : 音の立ち上がりからの減衰が少ない。背景を描くのにふさわしい。
この10数年の流行では、全てをアルアイレでという流儀が、幅を利かせていますが、それで、何か表現の幅が広
がったのでしょうか。何かが「出来ない」ことは「出来る」事より劣っていると思います。音楽の表現のために必要なら
逆立ちで歩くことだって、バンジージャンプだってする。そう考えるのが正しいと思いますが。
「音を均質に弾く」のが音楽の原則だとの主張は、「音楽はあらゆる瞬間に変化している」のが原則だという
私の主張と、真っ向から対立する考えではあります。私も特殊な効果が必要なときは「均質で変化しない音」も好んで
用います。
「音を均質にしか弾けない」という方法を、原理原則として確立して音楽を演奏するのは、間違っていると思います。
「音をコントロールし、あらゆる音を自在に使いこなす」ように訓練している人は「音を均質に弾く」ことも造作なくできる
ことは、お分かりですね。
ところで、「ロマンス」では、どうなっているかを見るのに、最初の2小節の譜例を、挙げてみます。
譜 例 3
この中で、メロディーは
譜 例 4
ですが、
本当にアポヤンドで弾けそうな音は、単音で書かれた、
譜 例 5
だけです。
譜例3の*1、*2などのメロディー音のみ強く弾きたいので、mやaの指に力を入れてしっかりとメロディー
を弾いてください。
ところが、いつもそうやって、弾いている人には、なんでもなく出来るのですが、慣れない人には、和音の構成音の中で、
一つだけ強く弾くというのは、とても難しいようです。
(11月27日の加筆)
この部分、ギターを持たずに書いたので、和音の中のメロディー音も、習熟すれば、ほぼアポヤンドと同じ音色で
弾けるつもりだったのですが、実際に鳴らしてみると、和音をすべて同時に鳴らした場合は、*1のシ、*2のソ
はアポヤンドのメロディー音と同じような音色にはならず、かなり違うものになりました。音色をアポヤンドに
近づけるためには*1、*2の和音をどうしてもアルペジオで弾かなければならないようです。
そうすると、この部分は和音は全部アルペジオにして、単音の部分を、アポヤンドするか、全部アルアイレにするか
悩ましいところです。色々と試みて、1小節目は、アルペジオとアポヤンド、2小節目はノン・アルペジオのアルアイレ
と言うのも、この場合は表現として悪くない気もします。その方法だと、タッチに気をつければ、音色の違いも余り気に
ならずに済みそうです。
いずれにせよ、こういうところは、ちゃんと表現するには、色々な工夫や決断が要るようなところです。
当初の意図と違って、初級者用のレッスンでなく、上級者向けのレッスンになってしまい、申し訳有りません。
(加筆終わり)
また、初級者の人には、p指と、他の指で、和音を弾く(はじく)と、力が入りすぎて単音よりかなり音が大きくなってしまい
がちです。これは、指や爪が、弦にひっかってしまい、強引に弦を弾いてしまうからです。指が、弦に引っかからないような
方法を、探してください。
逆に、単音を弾く時には、指を深く弦に当ててしっかり弾く習慣を付けてください。これは、「初級者だから大きな音が
出せないのだ」とは、必ずしも言えない気がします。最初から、大きな音を出そうとしない人は、10年経っても、大きな音が
出せないのです。
大きな音を出せないのは、指が弦の上をずるずると擦るだけで、しっかり弦を奥まで押し込んだ位置で、弦を打ち出せ
ないことが、原因の一つと思われますが、そもそも、指に力を入れて、弦を深く押し込まないのではないでしょうか。
大きな音を出せない第一の原因は、音楽に対する誤った感受性の為と思われます。
「音楽のような、心の深い部分を表現する芸術は、物理的な音などでは描き出せない。私の躊躇し、逡巡する音から
心の中を悟って欲しい」というのでは、そもそも、表現芸術とは言えないではありませんか。
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W テンポとリズム
Adagio(アダージョ)とありますので、遅いテンポで弾いてください。メトロノームでこのくらいと言っても、初級者の
人には、あまりぴんと来ないと思いますので、「4分音符が、1秒より少し遅いくらいで弾いてください」と言っています。
初級者の人は、どうしても音符の音が、ギターのどこを押さえたら出せるのかと言うことに掛かりになってしまうので、
その音の長さ、その音と前後のリズム的な関係などには、目もくれないようになりがちです。
「リズムは、音が拾えたら、考えてみる」と思っている方は、音楽の音で、長さのない音はないので、持続時間がはっきり
していない場合は「音が拾えた」ともいえないのです。「まだ、何もできていない」というべきです。少なくとも、ある音や
和音が、4分音符なら1拍で、付点8分音符なら3/4拍の長さで鳴らせたときにはじめて「音が拾えた」と思うべきなの
です。
「音を拾ってから、後でリズムを考える」という習慣を、ギターを習い始めたその時から、改めるつもりでやって
いかないと、中級になっても、上級になってもギターは「音符を読んで、ギターの場所を探す」という作業は永遠に続く
ので、永遠に音楽を後回しにする習慣が付いてしまいますよ。最初から音楽をやって下さい。
ギターの都合で音楽するな です。
リズムの取り方で一番難しいのは3連音符の所だと思います。
(12小節) (13小節)
譜 例 6
3連音符のリズムを覚えるには、この場合はメトロノームを使って、前後合わせて3小節を、リタルダンド無しで何度も
弾いて覚えることをお勧めします。
さて、rit.からa tempoで元に戻るときによくある間違いは、8分音符の3連音符のリズムを、普通の8分音符として
感じていて、次の小節にそのまま入るのでテンポが2/3ほど早くなってしまうことです。
ここの3連音符は、遅いテンポの中で3連音符なので、テンポの速い中の3連音符と違って、うまくノリで弾けてしまう
ではなく、数えにくく、しかもrit.がかかっているので、元のテンポとの関係がすっかり分り難くなっています。
そこで、13小節目を弾くには、12小節目の終わりの1拍目のテンポを覚えていて、それに合わせるというのも
カウントするのが難しいので、ここは、むしろ、もう一度1小節目から、曲を弾きなおすような気持で弾くのが好いと思い
ます。
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X 表情としてのディナーミク
さて、ここで少し楽式(曲の形式)の勉強をしてみましょう。全体は
A(a 4小節 + a’ 4小節) + B(b 4小節 + a" 4小節) + Coda 4小節
大きく分けてAとBの 2部形式です。
もっと細かくみると
a + a’+ b + a"
の4つの部分にコーダを加えた形です。コーダを除いたシンプルな2部形式と言うのは、面白いもので、大概は
起 承 転 結 の形をとるものです。
そして、詳しく見るまでもなく、言葉の真の意味で、ぴったり 起承転結 を成していますね。この音楽は西洋の
音楽ですが、漢詩の絶句や、日本の4コマ漫画のように 起承転結 になってていることは、まことに興味深い
ことです。こういう形式の感覚は、洋の東西を問わず、普遍的にあるもののようです。私は、文化の相違を強調して
喜ぶ人間ではなく、人間にとっての普遍的存在に出会うたびに喜びを感じる人間なので、こういうことには、大変、
嬉しさを覚えます。
曲の全体は、ホ短調の悲嘆にくれるようなメロディーの音楽です。
aの部分2小節づつ音の階段を登って降りるような穏やかな旋律が繰り返されますが、前の階段が2点ソまで
登って降りるのに対して、後の2小節では、1段高い2点ラまで登ります。(起)
a’の前半部分はaを受け、aと同じ(承)ですが、後半部分では、ト長調に傾いて、悲嘆の中に、かすかな
日の光が差し込んだようです。
bは力強くホ短調の属和音の響きを主に終始します。(属和音というのは、それぞれの調子の中でポテンシャルの
高い位置を指し示す和音です。)
a"はaを振り返った後、それなりに力強く、一度曲を終結に導きます。
Coda:一度終わった曲ではありますが、その終結の確認と、さらに一層力強い、曲の終了を宣言します。
以上のような説明が、この曲のディナーミク(強弱法)のヒントになるかと思います。
音楽家は、よほど特殊な事情が無い限り、音楽に強弱をつけて演奏しなければなりませんが、それは、殆どが
演奏者に任されています。楽譜にも一部、ピアノとかクレッシェンドとか書かれていますが、そんなものでは本当の
演奏には全然足りないのです。
「強弱による表現を付けることは、主観的なことなので、もっと音楽の客観的な部分を仕上げてからでいい」などと
いうものではありません。確かに強弱の表現そのものは、多くの部分が主観的かもしれません。しかし、音楽には
必ず強弱が伴うということ自体は、ほぼ客観的な真理と言うべきことです。また、その表現自体、音楽家はできるだけ
普遍性を持った表現に近づくことを目指すべきでもあるのですから。
とはいうものの、それは中々確定しづらいものではあります。演奏の度ごとにも随分と変化してしまうものでもあります。
一例を示してみますが、それについて、一応は検討はしてみたものの、私自身が、それを信じているのかどうかも
怪しい程度のレヴェルまでしかできませんでした。
だから音楽は面白いとも言えるのですが。
以上 終わり 11月18日
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