ギタリストのための簡単な理論講座

 最初は楽典とか、和声学の講座にしようかと思っていたのですが、和声学は丁寧に説明してもそれを自分の演奏に反映できる人はごく僅かです。もちろん、音楽の専門家ならそれを身に着けていなければならないはずですが、ギタリストの演奏を聴くにつけて、名の通った演奏家でさえもこの点が非常に弱い演奏が多くて、いつも悲しい思いをしています。とても残念です。音楽理論、特にその中核をなす和声学は無味乾燥な机上の理論ではありません。

 和声学は音楽の中で生まれた一種の科学であり、近代の知的な成果の一つには違いありません。音楽を律する原理でもあります。けれども、時空の中の物体の運動を正確に記述できるアインシュタインの相対性理論や、普通の人が観察できる質量のある物体の運動をほぼ正確に記述できるニュートンの力学ほど、音楽のすべてを律することのできる理論ではありません。

 ですので、すべてを統一的原理のもとで理解したいと思いたがる傾向のある私が語っても、却って誤解を生むことにしかならないような気がしていますので、書くことを断念しました。私の知識もお恥ずかしいことに僅かでもありますし。

 ただし、和声学に関しては、自分から問題意識をもって独習する人が初めて学べるように思われるます。できるだけ多くの演奏者に、目覚めてほしいものです。
 和声学は、その内容について私がくどくど申し上げるよりは、そこで学んだことをどのように生きた知恵として役立てるかが大切だと思いますので、若干の注意を申し上げておくにとどめたいと思います。


1.何と言っても第1に習熟する必要があるのは「機能和声法」についてです。関連用語を挙げると

      ドミナントモーション、非和声音とその解決、など色々あることと思います。

    これに関しては単に属和音、主和音、色々な非和声音の名前を知っているだけでなく、そういう和音に出会ったとき、
   適切に対処できなければ、その知識も単たる机上の空論にすぎません。それができない人は、音楽が演奏できている
   とはとても言えないのです。

    簡単に言えば、ドミナント機能を持つ和音を少しだけ強く弾いて、トニック機能のある和音にレガートに流れ込ませてあげる
   ということなのですが、だからと言って、鬼の首を取ったように、これは「ドミナントだよ」とばかりに強いアクセントなど付ける
   訳ではありません。そんなことはごく自然に人が呼吸をしているように簡単に出来ていなければならないのです。

    人が生きている限り、自分自身でも、対面してお話をしている相手でも呼吸していますが、「ハイ息を吸って、ハイ息を吐
   いて」とか、相手の人が「今息を吸った、今息を吐いた」なんていうことを意識する人がいますか。

    だから、そんなことを露骨に際立たせるような演奏は、無粋の極みなのですが、ときどきいますね。「自分は楽典を」
   知っている音楽家なのだとばかりに、特別に大きなアクセントを付けて、掛留音を弾いたりする人。そして、素人の人が
   それを聴いて「流石だ」と感心したりする状況。また、その経験が気持ちいいので、別に掛留でも何でもないところなのに
   次の小節の1拍目を半拍早く先取りして、掛留音を無理やり作り出して、さらに素人衆の称賛を浴びようとする音楽家。

     ドミナントモーションやテンションリゾルヴ以外にも、私がこのページでお話ししたいことは、音楽を演奏する場合に
   呼吸のように自然にできていなければならないことについてなのです。

     すべて、露骨に自分の能力を自慢し、目立たせるためのことではありません。でも、呼吸しないと人が大変困った状況
   に陥るように、それらのことが自然にできない人の音楽は、未熟な音楽と言わざるを得ないのです。


2.和声音楽(今日の私たちの音楽)について 

    ところで、「和音で伴奏する」とはどういうことでしょうか。この問いに答えることは、私にも容易なことではありません。
  「今日の私たちの置かれている音楽文化では、和声音楽が骨の髄までしみ込んでいて、そうでなければ、現在の私たち
   日本人は音楽的に満足できないから」としか言いようがありません。

    今日の私たちにとってふつうの音楽は和声音楽と言われています。もちろんわが国には、民謡や純邦楽などの素晴らしい
  非和声的な伝統音楽があります。演歌は日本固有の音楽と思う人もいるようですが、私にはそれが西洋歌曲の中の一つの
  スタイルにしか思えません。ハワイ特有の音楽と言われるハワイアンも、近年聴く機会が多くなった二胡や揚琴で演奏される
  大多数の中国音楽も、別にどこの国民が作曲しても,、さほど優秀な作曲のセンスを要せずして作れてしまうような音楽
  です。
    現代邦楽というジャンルもありますが、これなどは、純邦楽を名乗っていますが、単に都節旋法を多用し、それを
  西洋和声で伴奏した、洋楽のスタイルの一つにすぎないように思います。

    ハワイにも西洋楽器で伴奏しない純粋なメレという素敵な歌曲や、中国には京劇の音楽をはじめ、無数の魅力的
  な純粋伝統音楽もあることと思います。



    フォークソングに限らず、ギタリストの人はいろんな歌を伴奏することができますが、フォークシンガーが弾き語りして
  いるところを見ても分かると思いますが、一曲を歌い終わるまで最初から最後までギターで和音を弾き続けるようにして
  伴奏をするのが普通です。ときどき「タチェット」といって伴奏の手を止めることもありますが、実はその間も何らかの和音の
  存在が前提とされているのです。

    このように西洋音楽(ただし前衛的音楽はこの限りではありません)は、どんなに長い曲でも最初から最後まで、何らか
  の和音で絶え間なく色分けされていると考えられます。誤解のないように言えば、和音とメロディーの関係は、厳格に決まって
  いる訳ではありません。メロディーにコード付けするだけなら、コード付けの方法はひと通りではなく、比較的自由に色々な
  コード伴奏が可能だと思います。



    今日私たちにとってふつうの音楽である和声音楽は、地域的にはヨーロッパでのみ、時代的には、古代と中世を終えた
  近世にのみ発展した音楽全般の世界でいえば、地域的にも時代的にも、源流をたどればごく限られた特殊な音楽に他なら
  ないのです。

    実際、日本人は、ちょっと前まで(明治の初め)和声音楽など知らなかったので、現代の普通の日本人でもそれが身に
  ついていないという人がいても不思議はありません。和声音楽は明治の初めに政府の音楽取調所(初代長官:伊藤修二)
  の指導の下、外国人音楽教師などにより、学校教育を通して全国に広まっていきました。その際、現在も残っている
  文部省唱歌などの働きも大きかったのではないかと推測しています。

    ところで、和声音楽が西洋文化の中で、近代以降にのみ発生し、それがやがて全世界を席巻するに至ったのだという
  歴史的・社会的事実は、「なぜ、西洋合理主義的近代化は西洋諸国のみで起こったのか」という社会学者のマックス・
  ウェーバーの学問体系全体の大テーマを思い起こさせられます。私はウェーバーの著作をそれほど読んだことはない
  のですが、現代ドイツの哲学者ユルゲン・ハーバーマスの著作を通してそのことを知りました。

    ハーバーマスという哲学者は「近代」と「理性」という問題を深く考えた哲学者です。哲学者が理性について考えるのは、
  古代のギリシャで哲学が生まれた時から当たり前のことでした。長い歴史年代を通して人々は理性の発展とともに人類は
  より優れた存在になれると本気で思い努力してきました。

    ところが、20世紀に入ってから、理性への批判が相次ぎました。特に第2次大戦のアウシュヴィッツと原爆を人類が目の
  当たりにして以来、理性への批判が相次ぎ、理性の牙城だったはずの哲学の内部でも、理性そのものが批判されることに
  なり、理性は防戦一方の状態になりました。

    「人類は理性の発達によって、道徳的にも優れた存在になれるはずだったのに、そうはならなかった。科学的理性の
  発展は人類に幸福をもたらすはずだったのに、そうはならず、原爆という悲惨な破壊をもたらし、科学による生産性の
  向上は必然的に自然環境の破壊という不幸を伴うものになってしまった。」 など、理性への批判には、率直に耳を傾ける
  べきことも多いと思います。

    けれども、この「理性への批判」そのものは、理性自身が語る言葉に



     近代という時代は理性の力に導かれるようにして色々な分野で発展を遂げました。その分野とは、私たちの生活の
  すべての領域にかかわることなので、一々近代化のすべての成果を取り上げて解説することなどとてもできませんが、
  たとえば



     私は音楽も近代という時代の理性的産物のひとつと考えます。



    (書きかけ項目 2012/7/5)


3.初級から中級のギター学習者の問題

    今現在、私がギターの初級者の人を指導するに当たって、大変苦労している点は、和音というものの存在を多くの人が
  認識できない事です。

    私の教室では、初級者の人にはクラシックギターだけが習いたいという人にも、英語式和音記号(コードネーム)
  をできるだけ、使った和音での伴奏や、歌うのが好きな人には弾き語りの練習なども取り入れて、しかも、それを
  比較的、たっぷり時間をかけてと練習することにしています。

    中級者以上で真面目にクラシック一筋に勉強してきて、コードネームを知らないという人には、是非それを覚えられる
  ことをお勧めしておきます。何故ならそれによって私たちのギターライフはずっと豊かになること請負だからです。

    ギターは音符を読むのが難しい反面、いくつかの決まりきった和音を指の形で覚えるのは圧倒的に楽なのですから。
  というか、ギターは音符の苦手な人は手の形で覚えるしかないとも言えます。だから、楽譜を読んで曲目を練習する
  よりは、コードネームでたくさんのコードを覚えることは、ずっと簡単とも言えます。

      (書きかけ項目 2012/7/5)

 ところで、少々図式的になってしまいますが、音楽に関する、3つの3要素というものがあります。

1.音の3要素(楽音の3要素)(楽音=音楽で使う音)
     @ 音高
     A 強弱
     B 音質

2.音楽の3要素
     @ メロディー
     A リズム
     B ハーモニー

3.演奏表現の3要素
      @ ディナーミク
     A アゴーギグ
     B アーティキュレイション

 これらのことは、演奏するとき、常に意識していることだし、このことについて私が、自分の実感を伴った何事かを言うのは、
きっと、物の役に立つことではないかと思いますので、折に触れて、少しずつ何かを書き足していこうかと思います。
これを「理論」といえるかどうかはわかりませんが。一応このページはそれが全部書けた時点で完成とさせていただきますが
何年先になることか。   (2012・7・2)


1.音の3要素     −@ 音高

   この項目で、古楽の演奏者と違って演奏に直結した理論的なことを、あまり言えないのですが、ギターを弾くうえで音高を意識  させられることはいくらでもあるように思います。

  T 正しいピッチ
  U チューニング
  V 押弦位置のイメージ(ギタリストもヴァイオリニストになって)
  W 色々な音程がメロディーになる可能性を見落とすな
1.音の3要素     −A 強弱
1.音の3要素     −B 音質
2.音楽の3要素   ー@
2.音楽の3要素   ーA
2.音楽の3要素   ーB
3.演奏表現の3要素ー@
3.演奏表現の3要素ーA
3.演奏表現の3要素ーB

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