困った時には指立てよ この格言は大変に有力な格言です。 一生懸命に練習し、左手で思いきり弦を抑えているのに、音が出ない。 そんなときには、是非、手の力を抜いて、指を立てるようにしてみてください。私の場合それで「音が出ない」問題の97パーセントは解決します。 |
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指先1p、手首15p、肘50p いつも、そうだという訳ではありませんが、左手の指先を1p動かすために、その指が次のフレット位置を、適切な形で(最小の力で)押弦する のに、腕全体を大きく動かすことを怠ってはいけません。たった半音の音程のために肘を50cm動かすこと。それを1秒間に2回繰り返すこと。 そんなことは、ざらにあるということです。 ギターの先生は往々にして、「無駄な動きをするな」ということが多いと思います。特にお子さんは色々なところが無駄にふらふら動いてしまう ので、そういう注意も必要です。けれども普通にギターを弾く場合、左腕は、無駄な力を入れないために、大概のギターを弾く人が思っている その何倍も動かす必要があるものと思います。 力入れるな、いっぱい動かせ。 どう、動かしたらいいのか。各指が的確に、弦を押さえるのに、相応しい位置関係になるように、手のひら、手の甲、親指、手首、肘、腕全体、肩、足、腰 兎も角、体全体が、指に対して、腫物に触るように、指に奉仕し、指に楽をさせてあげるのです。それだけ指の仕事は大変なのですから。 |
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2011年11月12日追加 速弾きしたけりゃ、遅く弾け 忠告しておきますが、遅いテンポでも、ちゃんとしたリズムで弾けない人は、永遠に早く弾くことなどできないのです。 一見、早く弾いているように見えて、リズムがバラバラになっている人は、そもそも指のバランスが悪くて、よちよち歩き の技術で弾いているにすぎません。そういう人をテクニシャンと呼ぶのは、あまりに笑止千万ではありませんか。 さて、論理的真実を一つ申し上げます。 遅いテンポで正確に弾けない人は、早いテンポでは更に正確には弾けない。 これ、論理的な真実だと、どなたも納得していただけますね。厳密にいうと論理的では無いのかも知れませんが。 人間の運動神経の伝達速度は一定なので、速い運動に対しては、遅い運動よりも運動量の誤差率が大きくなる なんていう経験的事実(これ、すべて私のでっち上げ)も考慮しなくてはならなさそうなので。・・・まあ、細かいことは・・・ ところで、私の経験的事実を申しますと、 より遅く弾ける人が、より早く弾ける(遅く練習できない人はギターがうまくならない) という申し上げておきます。 と、堅苦しく言うよりも、生徒さんが、とても弾けないようなテンポで弾いているので 「もっと遅く弾いてください」といくら言っても、遅く弾けない人は、中々ギターがうまく弾けるようにはならないのです。 そういう生徒さんたちも、私に逆らって、遅く弾かないのではなくて、本当に遅く弾けないのだと思います。 ここで「遅く弾く」というのは「遅いテンポで練習する」というほどの意味ですが、ただ単に遅いテンポで練習することにも 効果はあるのですが、出来れば、遅いテンポで練習しながら、自分の指や腕の動きを、出来るだけ分析的に観察し、少し でも、動きを理想に近づけるように、何度も弾いて練習します。 どのくらい遅く練習したらいいのか?。これは私の感覚ですが、 テンポを10%上げたいなら、現在正確に弾けるテンポの半分のテンポで練習する。 と、こんな感じです。 「遅いテンポで練習」といっても中途半端でなく、うんと遅くしてほしいと思います。つまり、今とは全然違った様相で音楽を 捉えることが出来る位のテンポが必要です。即ち「虫眼鏡、顕微鏡で音楽を見る」ような作業をすることです。 この調子でいくと、テンポを20%上げるには、4分の1のテンポで弾くことになります。 此処から先は想像力の世界になりますが、テンポを2倍(100%up)にするためには、約1000分の1のテンポで練習する ことになりますが、いかが思いますか。つまり音楽を電子顕微鏡で見て、分子レヴェルでの微細な部分の無駄、 理にかなわない欠陥を一つ一つ取り除いていく様な練習をすることになります。 今現在、結構速いテンポで弾いているのにさらに2倍のテンポにするというのは、尋常でなく大変なことですが、1000分の1 で練習する人には、私は出来ると思います。例えば、現在のテンポ1拍が1秒なら、1拍を1000秒かけて練習する訳ですが 1000秒を1拍として感じることのできる、超人的、あるいは神的なリズム感覚を持つ人にとって、たかだか2倍テンポが何な のだという気がします。 |
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音楽の音、前後するどの二音たりとも同じ音量で弾くな かなり、意外に思われることと思います。昔から、均質な音を出せと、口うるさくいう音楽の先生も居るだろうに、それと全く反対のことを言う のですから。 私も少々むきになって、極端なことを言っているようですが。 しかし、同じ音量で演奏されるる、悪い表現例を、3つ取り上げたいと思います。 1.音楽教室の発表会でよく聴かれる子供の演奏。 2.昔のロボット音声によるナレーション。今は大分改善されてきています 「アシタノオテンキハハレデショウ」 というような抑揚のない声のことです。 3.MIDI音楽。いまは、MIDI音源を使う人の技術によっては、大分、ましになっていますが、根本的には、そういう音源を作る人も 音楽家的な資質が必要なようです。 この例で、聴かれる音は、べったりとした抑揚のない音が均等に並んだ音の集合で、およそ音楽や、語りとは言えないものです。 子供だって音楽を巧みに演奏する子もいるので、一概に発表会の子供の演奏が悪いとは言えないし、それが子供らしく滅茶苦茶可愛いのだ という気持ちも否定できませんが、多くの子供の演奏は、当然のことながら未熟ではあります。 音量のコントロールに関して、私は、2つに分けて考えるべきだと思っています。 a.表情としてのディナーミク b.音楽の細部のモチーフ、フレーズ、リズム等が形(ゲシュタルト)を成し、音楽が「動いている」という感覚を形成するための微妙な強弱。 今、どの二音たりとも同じ音量で弾くなと言っている「強弱」とは、bの「音楽の、モチーフ、フレーズ、小節など、小さな範囲での働き」を働か せるための強弱のことです。 音符が前後に連続する場合、前の音と、後の音には、必ず何らかの関係がなければなりません。つまり、前の音と、後の音の間に何もなかった 如く、音を並列に置いてはいけません。音楽を、有機的、機能的に、推進させるためには、前と後の音には何らかの 強と 弱の 関係がなければ ならないのです。 これは、音楽を聴いている人には、「強弱」として聴こえないものです。例えば、 3拍子の音楽が3拍子として聴こえるためには、強 弱 弱 のようなアクセントは必要なのですが、聴く人にそれが、強 弱 弱 と聴こえて しまったら、こんなに格好悪い音楽はないのです。お客さんには露骨なアクセントを感じさせずに、単に「ああ3拍子だ」と聴いてもらえるように しなければなりません。 「ギターの上達のために」「リズムの基本 拍子感覚」を参照 また、属7の和音が主和音に進行する場合(ドミナントモーション)や、非和声音が協和音程に解決する場合(テンションーリゾルブ)でも、 聴く人が、完全に受け身の状態になって音楽の流れに、自然に引き込まれて行くように、弾くのが理想であって、あっちにもこっちにもガサツな アクセントがゴロゴロしていて、無理やり目を覚まさせられてしまうような演奏は失敗なのです。 「ギターの上達のために」を参照「ギターを弾きながらメロディーをメロディーとして弾くこととは」 参照 昔から有名な例で、「弁慶がな、ぎなたを持って五条の・・・」という文章もありますね。これは「弁慶が長刀を持って、五条の橋の・・・」の間違えで 読点の位置の間違えや、読むときの間の取り方の間違えの例として用いられますが、実は音読した時のアクセント位置の間違えの問題でもあり ます。本来「なぎなた」の「な」にアクセントを付けて読むべきところを「ぎ」にアクセントを付けてしまったので、何を言っているのか分らないという ことです。 自然な演奏とは漢字の「長刀」が耳で聞いて「なぎなた」に聴こえるような演奏のことです。それが、東京のイントネーションであっても、 大阪のイントネーションであっても、大差はないのです。 (イントネーション と アクセントは違いますね) 2011年12月11日の追加項目 |
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フレットの真ん中押さえるな フレットの左押さえるな フレットから離れて押弦するな 言うまでもないので、言わなかったのですが、押弦するとき、指板のフレットとフレットの真ん中くらいを押さえる人が余りにも多いので、ご注意を。 また、初級者の人は、練習していると、押弦する場所が、だんだんフレットから遠ざかって行って、ついには半音下の隣のフレットを押さえてしまうことも 珍しくないので、どうやったらフレットの際を押さえることに注意が向けられるか、大変苦慮しています。 ギターはフレットがあるので、ヴァイオリンのように指の感覚だけで音程を測定しなくてもいいと思ってギターを弾いている人には、是非ともその考え方を 改めていただきたいと思います。弦を押弦したときには、常にフレット位置を意識し、その場所を、自分が弾いている音高の場所だとという実感を抱き つつギターを弾いてください。 ギターは大変難しい楽器なのですが、他の楽器をやっている人からは常にバカにされるような立場にあります。是非、高い意識を持って音楽をしてください。 そのなかで「ギター弾きは、自分では音程もわからない」なんていわれるのは最大の恥辱だと思いませんか。 どうかギタリストの人もヴァイオリニストが、音程を作るように押弦しているように、ヴァイオリン的イメージを持って押弦してください。 そのためには 指を立ててフレットの間際を押さえろ です。 2011年12月2日 |
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押弦 弾弦 離弦 押弦は言うまでもなく音程を作るために、フレット前の弦を左手の指で押さえること。弾弦は右手の指で弦を弾く(はじく)こと。離弦という言葉は 聴いたことがないので私の発明した言葉だと思います。ともかく、3つとも、日ごろ使わない言葉ですが、自分が行った楽器の操作を意識して行う にはそれを言葉で表現することが大事だと思います。ギター教師が生徒に語るだけでなく、それ以上に「私は、何弦何フレットを何の指で押弦し、 何の指で弾弦する」のように自分に語って見ることも必要かと思います。 押弦と弾弦は同時に 押弦と弾弦を同時に行わなければならないのは、至極当然のように思いますが、そのちょうどいいタイミングの合わせ方は練習が必要です。 押弦は強く押さえる必要はないのですが、しっかりと弦を押さえた瞬間をとらえてー―それを私は「指の芯で押さえる」といっていますがー― それがうまく出来ていない人が多いようです。多くは、やっと新しいフレットの場所に左手指が到達して、まだしっかり押さえてもいないのに弾弦 してしまうようです。また、私がそんな説明をすると、しっかり押さえたことを、確認までしてから弾弦したりして、それではタイミングが遅すぎるの です。 離弦を忘れるな 左手指は、「今、押さえているところを放さなければ、別のところを押さえられない」。これも当たり前のことです。特に初級者の人は、その ことが意識できないようです。ギターを習い始めた人は自分が今、どの指を使って、どこを押さえているかも、余りよく分っていないのですが それは仕方のないことです。練習を続けて、どうかギターに慣れていただきたいと思います。 しかし、「離弦を忘れるな」という意識は、私自身にも必要なことなのです。音楽をレガートに演奏したいと思っていると、どうしても押弦を音価 のぎりぎりまでしていたいと思うのですが、場合によっては、一瞬の操作でしっかり離弦し、次のところを「芯でとらえて」押弦してから弾弦した方が 良いのです。 |
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ポジション移動はUFOキャッチャーの要領で ローポジションからハイポジション、あるいはその逆に左手のポジションを移動する時には、今の位置で指をまっすぐ、しかもごくわずかに上に離弦し、2つのポジションで 共通する指があったら、その指で弦に圧力を加えず、弦に触れたまま、真横に動いて新しいポジションに移動し、そこでまっすぐ下に、再び押弦します。 まとめると 1 まっすぐ上げる 2 真横に移動 3 まっすぐ下げる つまり、ぐっと押弦したまま2つのポジションを直線的に動いたり、指板から離れて大きなカーブを描いて移動したりしないこと。 |
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重心は常に外側の指に 左手の指で 1指――→4指 の方向に 内側の指――→外側の指と呼びます。 2本以上、指を使っているときは、なるべく外側の指に重心を置くようにして下さい。多くの人が人差し指を強く押さえ過ぎです。出来るだけ1指の力は抜くのが望ましいと 思います。 たとえば、1フレットを1指で、5フレットを4指で同時に抑える場合、多くの人は、1指を基準にそこから4指を伸ばしたような押さえ方をしますが、これは良くありません。 必ず、4指をしっかり押さえた場所から、1指を1フレットに向けて伸ばしたような指の手の形にして押弦するのが望ましいです。 こちらを伸ばすように使うこと<<―――――こちらを基準に |
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上から押さえろ(横から押さえるな) 先の項目の「UFOキャッチャー」と重なりますが、押弦する指は常に、これから押弦しようとするフレットの真上にまで持ってきて、降ろすように 押さえるということです。例えば、どの弦でもいいのですが、1フレットを1の指で押さえていて、同じ弦の7フレットを4の指で押さえる場合、移動の ために瞬間的に、手のひらは大きく開き、1の指と4の指をいっぱいに開くかも知れません。しかし、7フレットの音を弾弦する瞬間には、人差し指 は十分に小指側に引き寄せられ、重心が小指の方に移動して、7フレットをしっかり芯でとらえて押弦していなくてはなりません。 どんなに、遠いフレットを押さえる場合でも、押さえる指の力が、弦を張っている方向に向いていたら、その力は押弦のために使われることが 無いのです。押弦する力は常に指板の方向(指板に直角の方向)に向いていなければならないのです。 また、手のひらが大きく広がっていたりしたら、指の力を指板の方に集めることはできません。例えばどれか1本の指で押弦するとき、他の指 は、1本の指が有効に働くように、その指を左右のどちらの方向にも引っ張るような力を加えることなく、出来るだけ力を抜いて、その指の近くに 集まっていなくてはなりません。 |
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1本の指を残せ メロディーをつないだり、響きをつないだりするのに、最低限、指1本を最後まで残して、他の指の配置に移っていくのは有効な手立てです。うまく説明できないので 色々な譜例を使って説明していきたいと思います。 |
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運指法 1本の指を残せ(軸指) 前項と全く同じ格言ですが、内容は少し違います。これは運指法の考え方の一つです。 バスケットボールでボールを持った選手が、片足を軸にして(前後左右に動かさないで)その足を軸にして、もう片足でくるくる動いてもトラヴェリング の違反を取られないという技がありますね。 和音と別の和音が前後している場合、共通する指を離弦せずに取っておいて、他の指を動かす方法の一つです。共通の音が1つだけと言う和音が連続する ケースはとても多いのですが、その1本の指を放さずに置いておきますが、他の指はすべて一旦、しっかり離弦してください。他の指をしっかり離弦せずに、 直接次の場所を押さえようとすると、指が弦に引っかかってうまく動かせるものではありません。 指を1本にするということは他にもメリットがあります。1本だけ押弦している状態と言うのは、手が大変リラックスできる状態なので、例え一瞬、10分の1秒位の 短時間であっても、過酷なギター演奏の最中には指を休めるのには十分な時間なのです。勿論、リラックスさせる、そのつもりで力を抜いてください。 また、この状態では手の運動性の自由度が大きいので、手首や腕を回転するようにして、次の押弦に適した配置に持ってくることが出来ます。 2011年12月2日 |
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運指法 1本の指で動け(ガイド指) |
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運指法 次の指を空けておけ |
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指は開くな、伸ばせ (指は横に開くな、縦に伸ばせ) (指は左右に開くな、前後に伸ばせ) 左手が開かないと言って指と指の間を開こうと努力している皆さん。ちょっと待ってください。ギターは指を左右に大きくに開いて押弦するなんてことは殆どありません。 左右の開きなんて個人差はあるものの、人によってそんなに変わるものではありません。 左右の開きだけで押さえると 1指・2指の間 : ローポジションでせいぜい2フレット分位(つまり1指が1フレット、2指が3フレットくらい) 2指・3指の間 : 1フレット分(2フレット、3フレット) 3指・4指の間 : 2フレット分(3フレット、5フレット) 遠いフレット間を押さえるときには、指を前後に開いて使います。だから、腕は肘が床の方を向いている何ていうことはありません。むしろ、肘はギターのブリッジの方に傾斜 しているのです。前後に開くと、左右に開くよりは、もう1フレット分くらいは誰でも楽に伸ばすことが出来ることと思います。
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音楽の先生は誰でも「音を聴きなさい」というけれど・・・ 音楽教師ならば誰でも言う台詞ですが、実際のところ、音楽家だったら誰でも自分の心に、そのことで後ろめたさを感じているので言える 台詞だと思います。自分の弾こうと思った通りに弾けていれば何の問題もありません。それが簡単にできれば苦労はいらないのですが、 中々……。 演奏者自身は注意深い聴衆に比べて自分の音がよく聴こえないのかもしれません。聴衆に比べて、演奏者は、自分の楽器を操作すること に集中するので、自分で「その通り楽器を弾いている」と主観的に思ったことは、客観的に「音楽がそう演奏されている」のだと勘違いしている ようなのです。 思った通りに弾けているならば、あとは音楽の解釈が正しいかどうかに懸かっているのですが、私自身、音楽の解釈の方は誰にも負けない 自信があるのですが、思った通り弾けているかどうかという事に関しては「かなり弱いです」と言わざるを得ないのが大変、申し訳ありません。 でも、私ばかりを責めないでくださいね。皆さんもそうなのですから。というより、私もプロのはしくれ、ギターを学習中の皆さんに比べれば ずっと自分の音楽が聴こえているのですよ。 ところで、ただ漠然と「自分の音を聴きなさい」と言ったって何を聴いたらいいか分りはしません。何をどう聴いたらいいのか、はっきりした 目的を持って聴くのがいいと思います。そして、音楽の先生が生徒に言う言葉は、レッスンの目的なのだから、聴くことによって、生徒の演奏 が(又は、自分の演奏)が良い方に変わらなければなりません。 音の持続を聴け ギターを練習している人に一番聴いて欲しいのは、自分の出した音が、音価(4分音符だったら1拍、8分音符だったら半拍など音符の長さのこと) の通り音が持続しているかどうかです。ギターを弾く人の多くは、弾弦の瞬間の音は聴くのですが、その残響が残っているかを聴かない 人が多いのです。そうして、私が生徒に「音を聴いて」という意味の大半はこのことなのです。音の持続を聴く習慣が身に付くだけで、 その人の演奏は随分変わるはずです。勿論、学習者の人は、自分の音を聴いて、それが持続していないことに気が付いたら、 ちゃんと持続するように、練習しますよね?!。 テニスや野球のコーチは、ぎりぎりまでボールを見るように言うと思います(あまり知らないのですが)よね。しかし、自分のボールがラケットや バットに当たる瞬間を見た人はいないと思います。前の音と後の音が接する瞬間まで、前の音の響きを聴く。そういう聴き方をしようとすると 逆に、その瞬間の音が分らなくなってきますが、時にはそういう努力もしてみましょう。何かが変わるのものと思います。 和音の構成音を聴け・そのバランスを聴け 和音は、上手くなっていることが、感覚的にとらえられ上級者の上の方の人は余り問題ないのですが、(以下 書きかけ) 独立した声部を聴け 音が出ねえんじゃ始まらねえ ノイズに気が付かねえのもな 「美音」は最後でいい。でも大切でないわけではない。 一つの要点を1回弾くごとに耳で確かめよ。そして何度でも弾け。 音楽を聴け 100回弾いても確かめられる要点ではないけれど。 |
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音楽の先生は誰でも「歌え」というけれど・・・ まず、メロディーをメロディーとして自分に聴かせるようにように弾け |
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メロディーはアポヤンド、伴奏はアルアイレ 音階(スケール)はアポヤンド、和音(アルペジオ)はアルアイレ |
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楽器の練習、楽器を鳴らす、強く弾くのが当たり前。(都々逸の調子で) |
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セーハは余計にするな |
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長拍???! 日本が誇るヴァイオリンの早期英才教育、スズキメソードの創始者、鈴木慎一の書いた本にあった言葉ですが、言葉の意味を誤解 しなければ、含蓄のある言葉だと思います。 4拍子の4拍目、3拍子の3拍目のように、1小節の最終拍のことをいいます。ですので、例えば4拍子の各拍の特徴を図式化すると 強(1拍) 弱(2拍) 中強(3拍) 長(4拍) となります。 例え、弱起の曲でなくても、4拍目というのは、次の小節に働きかけていく大切な拍です。4拍目は大概の場合テヌート(音を保って)で弾くと 良い結果を生みます。 誰ですか? テヌートというと音を長く伸ばしてしまう人は? テヌートは「音を保って」ですよ。 ギタリスト、4拍目を恐れよ そうして、ギターを弾く人は、いつも気を付けていなければ、どうしても4拍目が短くなってしまう宿命を背負っているのです。 これが「小節線の悪魔」です。他人ごとでなく、この私も。 |
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頭の休符、気張って休め |
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指の都合で音楽するな ギターの都合で音楽するな 今はまだ言えませんが、私はこの項目を別ページにして、何年もかけて論じていきたいと思います。私がこのように言っている向こう側から 「ギターはギターらしくしていろ」 という言葉が叫ばんでいる声が聞こえるきがします。その声はギターを本気で愛している人々の声であると同時に、ギターを半ばバカにしたような 音楽の専門家の声でもあるのです。 ギターを愛するという人が、ギターをバカにしている人と同意見だなんて!!! 私は、ギターへの偏った愛情が、音楽を歪めることなく、そうではなくて、ギターの持つ、底知れぬ表現力が、音楽に普遍的な貢献をする。 そんな形で発展していって欲しいと思っています。 |
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運指は、数手先を読め |
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指と体、勝ち目のない喧嘩 指と指、喧嘩させるな 高校1年の物理学で習うことと思いますが、「ニュートンの法則」というのがあります。その第3法則「作用反作用の法則」くらいは、聞けば思い出せますね。 すっかり、押弦されて、特にギターが動いていなければ、楽器に加わる、私たちの体や左手の指の力は、それなりに、釣り合っている訳です。そういえば、力は 強さと方向を持ったベクトル量で表されるのでしたね。そうして、力のベクトル和はゼロになるのでした。 それから、もう一つ、ギターがどちらかの方向にくるくる回っているのでなければ、回転モーメントの和もゼロと言うことです。確か、回転モーメントというのはテコの原理で出てくる、 支点からの距離 × 力 のことだと思いますが、こちらの働きは私たち、普通の大人の私たちには想像しにくいことではあります。 「ベクトル和はゼロ」の方は、そんなに理科・科学が嫌いでない人だったら誰でも想像に難くないことですね。ところが、一見、外から見てギターが動いていないからと言って 実際、ギターにに加わっている力は人によって随分違います。その力とは、指と指、指と体、体と体がお互いにギターを挟んで加えあう力のことで、多分「内部応力」などという 力のことです。この内部応力はいくらでも強くしていくことが出来ます。もしかしてとてつもない怪力の人がいて、ギターを握りつぶすこともあるかもしれません。でもその前に 体が参ってしまいますね。 いくら力いっぱい押弦しても、音がうまく出ないという人、そのために、ますます力を入れるようなことをせず、どう押さえたら効果的に押弦出来るのか、少し研究してみて 下さい。 「内部応力最小化の原則」 しかし、どんなに、腕を動かしても、邪魔にならないところまでその腕を空間的に動かせないときも、たまにはあります。どうかその時は、体を損ねないようにご注意ください。 |
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ギタリストの悪魔、小節線の悪魔、符尾連結線の悪魔、悪魔退治 殆どの場合の場合、各小節の冒頭では和音が示されます。和音が示されるところは、それだけではなく、至る所にありますが、色々な音がグループ化されているところ、 例えば、メロディーラインの一部が符尾連結線(連桁)で纏められているところは、何らかの和音が、明示されていないまでも、そのメロディー自身が和音だったり、それ以上に 和音による伴奏形自身だったりします。 和音を押さえることは、ギター弾きの基本的仕事ではありますが、ギターを習っている人、教えている人には、それがどれほど大変な作業か、よくお分かりですね。 特に初心者の人は、いくら一生懸命に和音を押さえても音が出なくて、ごく基本的な和音を押さえるのにも何十秒、何分もかかってしまいます。誤解のないように、説明 を加えますが、例えば、Cというコードを最初に弾く人は、その日、丸1日その和音が出るように格闘して、ようやくそれらしく弾けるようになるかも知れませんが、それで Cが身に付く訳では無く、翌日はまた半日は格闘しなければなりません。 しばらくして、その人は色々な曲の色々なシチュエイションで同じCコードに出会います。しかし、その度に、以前出会った同じCコードだとは思わず、別人に出会った時の ような思いで、その度に、この和音と格闘しなければなりません。 ギターを知らない人は、ギターは簡単にポンポン音が出る楽器だと思っていますが、始めてギターを持った人は、音ひとつまともに出すのに偉く苦労します。特にまともに 和音を弾くのには何年もかかりますね。 でもギターを愛する人には、ギターは必ず応えてくれるはずです。 音楽にもよりますが、和音自体は、普通はメロディーの1音毎に従って変わるというほどは、頻繁に変化するものではないのですが、ギターの場合、メロディーの動きに従って、 同じ和音であっても、いつも、和音を押さえ直してやらなければなりません。同じ和音であっても、ギター弾きの手にとってはいつも違う和音なのです。特にピアニストが左手で ドソミソ・ドソミソとアルペジオで伴奏(この形をアルベルティ・バスというそうですが)しながら右手でメロディーを弾くのは容易ですがギタリストにとっては、これはドソミソというメロディーと 右手のメロディーを同時に弾く、多声部の音楽のように感じられるのです。だからギターの初級者の人にはドソミソが和音なのだという認識も中々持ってもらえないのです。 和音の響きは、左手でずっと押さえておかなければ保持できないのですが、それとはまるで矛盾するように思われるかもしれませんが、ギタリストは左手のフォームを常に 持ち替えていないと和音の響きを保持できないのです。それどころか、和音の響きそのものさえ響かせることが出来なくなってしまうのです。 ギタリストが和音を弾こうとするたびに出会う悪魔が和音の悪魔です。誤解のないように、和音は悪魔ではありません。これは音楽を素晴らしいものにしてくれる天使 なのです。天使にも、大天使ミカエル、ガブリエルなど一人一人名前があるように、ドミソ、ファラド、属7の和音など一つ一つ名前を付けて拝みたくなるほどですね。和音の悪魔 は天使の前に立ちはばかり、私たちが天使に合うのを邪魔する悪魔なのです。和音を押さえようとすると「手が痛い」「押さえ方が難しくて時間をかけて考えないと分らない」 「指がそこまで伸びない」「指がそういう風には曲がらない」などなど様々な悪さをするあの悪魔たちのことです。 ちなみに、人には生まれた時から一人の守護の天使が付いていてその人生を守ってくれるという素敵な神話がありますね。また、カトリックでは洗礼を受けるときに 守護の聖人を頼んでその名前をいただきます。ところで、私は心ひそかに、フランツ・シューベルトを守護の音楽家と思って帰依しています。トップページに色々画像があります ので、ここまでこられた方にはもうとっくにバレていますね。 小節線の悪魔 悪魔にも、サタン、ルシファー、ベルゼブブなど色々名前がついていて、それをよく知っている人には分りやすいですね。きっとギタリストにとっての最大の悪魔は「手が痛い」 悪魔でしょうが、今問題にしたいのは、そいつではありません。私が毎日、何百回、何千回も遭っている悪魔がいます。それが小節線の悪魔です。私は、奴にしょっちゅう 遭っているので奴のことはよく知っています。でも時々やられてしまうこともあります。 奴は同じ顔をしていて、いつも同じふるまい方をするので、是非とも皆さんにお教えしておきたいと思います。どうか、そのことをよく聞いて奴に負けないように心がけてください。 それで、そいつはどこにいるかと言うと、小節線の処に待ち構えていて、私たちがそこを通り抜けようとするときに、色々と悪さをする連中なのです。小節線とか、連桁の 区切りのところとか、関所に待ち構えている、関所の悪魔ですね。関所の悪魔の有名な例は、セイレーンとかローレライですが、この連中は、人の心を奪い取るほどの歌の 名手、いわば音楽の達人なので、よもや音楽の邪魔をする者とは思えません。だから、だれかほかの奴です。 そうして、奴はギター弾きだけを狙って襲ってくるのです。小節線の悪魔は、和音の悪魔の一味なので、和音を仕事としないヴァイオリニストや笛・ラッパ吹きのことは襲わない のです。多分ピアニストはこんな悪魔の攻撃など余裕でかわしているのでしょう。 それから、この機会に申し上げておきますが、小節線とは、音楽を区切るような場所ではありません。私たちにリズムを分りやすく見えるようにしている目印にすぎません。 それが音楽の区切りに見えているギター弾きの人はすでに奴の術中にハマっているのです。 そもそも小節線で(オン・バーで)フレーズの切れ目になっていることは、割合としては極めて少ないのです。(フレーズは、大体4小節程度続くこと。オン・バーで始まるフレーズより、アウフタクトで 始まるフレーズの方が多い。) それから、オンバーがフレーズの始めになっているようなところは、大体において、そこでゆっくりブレスなどしないで、上手に息の間を盗んで次に進む ことがほとんどなのです。この場合は、クラシック音楽でもリズムが優勢ですね。 それから、フレーズ、フレーズと言っていますが、フレーズを明確にさせるのは、実際は、ブレスでもないのです。本当は、ブレスをしたような仕草、フレーズの終わり方、 フレーズの始め方なのです。この項目は、また別のところで、お話しします。 ですから ・小節線で区切られた2つの音は何事もなかったかのようにつなぐこと。 ・連桁の最後の音と、次の連桁の最初の音、この2つの音はつなげること。特に、付点8分音符と16分音符の連桁は、むしろ連桁内を区切り、連桁の次の音と つなげること。 (このままでは分り難いので、譜例を掲載予定) さて、奴の術中にハマった人の行動について述べます。 普通は、小節の最終拍(4拍子なら4拍目)が短くなり、前のめりな感じで次の小節に入ってしまいます。私のギター教室にも初級者から上級者の人がいらっしゃるので どうして、そのようになるのかの観察・研究には事欠きません。 初級者の人 : 初級者の人は、上の結論とは反対に、新しい小節に入るとき、かなりの時間をかけてしまいます。特に新しい曲の練習にかかった時は、和音を押さえる動作 に3秒も、4秒も、5秒もかかってしまうので、リズムもへったくれもありません。そういうところは、何度でも繰り返し練習し、克服してもらうのですが、ギターの 練習に真面目に取り組まれている皆さんは本当に偉いと思います。 中級者の人 : 中級者になると、和音を押さえるスピードも大分、速くなってきます。ただし、次から次へと変化する和音に自分の思った通りのテンポで対応するのは、やはり 大変なことなのです。 ギターを弾く人にとって練習するとは、ほとんど、弾けない音を、弾けるようにするという一点に掛かってしまいます。中級者の人は特に、技術の習得に全力を 投じて音楽の色々な要素に気配りをする余裕がなくなってしまうようです。 、上級者の人 : (書きかけ) ギタリストの音楽表現の特異性(これはギタリストなら大半の人がすることなので、それをその人たちの個性的表現などと勘違いしないでください) (むしろギタリスト的な画一的な変な弾き方なのですから) 私は、長年、そのことを考え続けて来たのですが、ギタリストの音楽表現の特異性はこの事柄(小節線の悪魔)に依っているのだと思います。これは、ギタリストの悪魔が 遠くで糸を引いていて、それに従ってしまったり、逆に抵抗の仕方を誤ったりした、ギタリストという種族の歴史によって形成されてきた、一つの文化なのだと思います。 文化だから、もはやそれが「間違っている」とも言えません。「そういうものだ」として受け入れ、逆にそれを愛してやるのも一つの道かもしれません。でも私は嫌なのです。 すなわち、 1 往々にして1拍目のメロディー音を長く引き伸ばすことを好むこと 2 往々にして1拍目のベース音を長く引き伸ばすことを好むこと 3 曲頭1拍目のベースに特大のアクセントを付けて曲を始めることを好む 演歌ギターで多い弾き方ですが、1拍目がメロディーは休符であるにも関わらず、低音が書かれているために思いきり強く弾いてしまう人の多い バッハのリュート組曲2番、4番、「プレリュード、フーガ、アレグロ」等の、プレリュードの出だし等 4 各拍の拍頭の和音をアルペジオで弾くことを好むこと (人によっては、和音は必ずアルペジオで弾かなければ、気が済まないようです) (更に趣味の悪い人は、そのアルペジオのタイミングに、色々なニュアンスに従って変化を付けることさえしない) 5 ベース音とソプラノ音をアルペオのようにずらすこと 音がベースとソプラノの2音しかないのに、敢てそれをずらして弾くのは、大変に聴き苦しいものです。けれども、そうやって弾く人は非常に多い。 6 フレーズ内の最高音を長く引き伸ばす(フェルマータする)ことを好むこと 7 アウフタクトに全く気が付かなかったり、気が付いた場合はそれを強調しすぎること(弱拍なのにアクセントと理解してしまうこと) それに対して、小節線の悪魔自身(最終拍が短い)そのものを愛している人はあまりいないように思います。むしろ、ギタリストはそれが問題であることを感じています。 |
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