○シャコンヌについて
シャコンヌのコンセプトは去年と同じですが、去年は自分がやりたいと思うことが全然できなくて、技術的にも未熟な演奏でした。今年はそのリヴェンジのつもりです。ところで、去年やってみると、この曲は私がやりたいと思っていたことを妨害する要素が色々あるな、ということが次第に分かってきました。
・基本コンセプト
私のやりたいことは基本のリズム構造を明晰に打ち出したいということです。基本のリズム構造なんていうと大げさに聞こえますが、この曲の基本リズムは3拍子のシンプルなリズムなので、それを表現するのは至って簡単だと思います。また、4小節の反復するフレーズが繰り返しになっているので、
3拍子×4小節
の長周期のリズムも明らかに分るようにしたいと思っています。最初はそのどちらも簡単なことだと思っていました。とくにヴァイオリニストは3つ以上の重音を同時に弾けないので、中々リズミカルな演奏に出会わないのも当然ですが、ギタリストならばもっとそれが出来るはずだと思っていました。
・変奏曲としての構造
この曲は8小節ごとの変奏からなる、主題を含めて32回のヴァリエーションだということを時々聞きますが、子細に調べてみると、そう言うのは少し無理があるようです。最初から構造に無関心な人はいいのですが、32回の変奏と思って練習する人は、この曲が変奏曲だと思いながら練習するのをやめて、途中からそれに無関心なまま練習を続けていることになります。じつは、曲のはじめ近くできちんと8小節が機能しているのはテーマと第1、第2変奏までです。
ちょっと論証をさせていただきます。まずテーマを最初の4小節、これを私はC0(サイクル0)ということにしましたが、そうすると8小節説のテーマは「C0・C1」の2サイクルになります。以下、8小節の方をヴァリエーションと呼ぶと、ヴァリエーションとサイクルの間には
V0=C0・C1
V1=C2・C3
V2=C4・C5
ヴァリエーション=偶数サイクル・奇数サイクル
の対応関係が成立しますが、こうするとニ短調からニ長調に転換した、頭のサイクルは第33サイクルで8小節が真ん中で切れることになります。故に8小節の変奏曲説は成立しません。
それを持ち出すまでもなく大体においで8小節のグループの前半と後半はあまり関連性がないことが多いようです。また、明らかに8小節をペアとして考えるより、切り離して考えるべきと思われるところが、随所にあります。たとえば、32分音符のパッセージの「C16・C17・C18」、同じく32分音符フレーズのC21、C31、転調前のC32などです。
けれども私は、ブレスやフレーズの間隔をより長く感ずることを日頃から推奨しているので、曲を大きく、ゆったりした時間感覚で把握するために、大体8小節のヴァリエーションを感覚的に感じながら演奏することには賛成です。
・拍子構造
この曲が3拍子であることは明らかですが、色々なところで3拍子がわかりにくくなっています。C6の2拍目から16分音符の楽節が始まりますが、ヴァイオリニストもギタリストもここは、ほとんど例外なく、無意識に2拍子の楽節の1拍目と感じながら弾いているところです。ここは旋律が2拍子構造を持っているかといえばそうでもなさそうなのですが、ほかにもC10、C11などは明らかに旋律が4拍子構造になっていて、そんなところはいくらでもあります。ですので、拍子感覚が3拍子でなくてもよいのですが、それを一種の「ずれ」の感覚として感じていたいのです。「ずれ」の感覚を持つには私自身はどうしても3拍子(強から弱へアクセントのグラデーション)の意識を堅持しなければなりません。けれども、色々なところにあるこういう地雷に対して釣られずに身構えているのは、容易ではありません。
4拍子、2拍子、割り切れない剰余の拍、色々なことがあっても、座標軸そのものがその度にそちらに傾いていては音楽の安定した統合は得られないものと思います。安定した座標軸の上に置かれた「ずれ」。私にはそれが面白いし、心地よくもあります。でもまだうまくできていません。最初から統合など求めない人はいいのでしょうが。
・フレーズ構造
この曲は、2拍目から始まる弱起の曲です。ところでこの弱起の感覚は最後まで堅持されると言われていますが、果たしてそうでしょうか。私は4小節の各サイクルを大体において基本的フレーズと同一視しています。それをフレーズとみると、2拍目から始まっていると思われるのはサラバンドの基本リズムのフレーズのなど14個のサイクルのみで、大体の4小節フレーズは1拍目から始まっているように思います。
(サラバンドの基本リズム)
(C0 C1 C33 C34 C44 C46 C47 C48 C49 C50 C51 C52 C62 C63がそれに相当)
付点8分音符、16分音符、32分音符のフレーズを弱起とみなすのはほとんど無理があるように思います。
それにも拘わらず、音楽とリズムの統合のために、サイクルの2拍目を重要視しました。弱起の曲は、たとえ途中それがどうなっているかわからなくても、西洋の音楽では、それを最後まで守り通すのは至極当然です。長いことそれを忘れたようでいても、途中でしばしば、思い出したようにアウフタクトが顔を出すのは、作者がそこに曲の統合や安定を要求している仕草であることは明らかだからです。実際、弱起の音楽を、無視して途中から 123・123とだけ数えるのは音楽家の感覚には気持ちの悪いものです。
私は(強弱弱)という図式(わたしの感覚ではむしろ強から弱へのグラデーションなのですが)であらわされる3拍子のリズムの他に、2拍目から始まる4小節の長いサイクルのリズムにも重きを置きました。それは、インド古典音楽やジャワのガムランのような長いリズムサイクルの反復効果によって揺さぶられ、酩酊に導かれるような感覚を、どうしてもこの曲で実現したいと思っているからです。
そこで私が工夫したのが各サイクルの2拍目にギターのE弦Dを鳴らし、しかも他では一切鳴らさないという選択です。
(ただしC26だけは例外です。)
けれどもこの音もよほど意識していないとしばしば弾くのを忘れ、抜かしてしまいます。また、「そうしました」と言葉で言ってもどれだけの人が理解し、賛成し、気が付き、感じてくれるか。また、賛成してくれたお客さんには、よく伝わるようにこの音を明瞭に出せるかどうかも問題です。
ところで、去年もお話ししましたが、冒頭部分、ヴァイオリニストの人のディナーミクは大体こんなもんだと思います。
これには、2重3重の意味で違和感を覚えます。
1. まず冒頭部分は、弱拍にもかかわらず強すぎる。そのため、私にはこの部分が3拍 子の1拍目に感じられてしまいます。
2. 4小節目の3拍目も強すぎて私には2拍子の音楽の1拍目に聴こえます。ですのでこ の頭のサイクルは私にはいつも次のように聴こえて仕方ありませんでした。
シャコンヌはスペイン起源の舞曲だからこれは立派なヘミオラリズムだなどどいうのはとってつけたような屁理屈です。わたしがこう書いてみなければ誰も気が付かないことですから
従来の演奏スタイルは、あまりに身振りが大げさすぎるのではないかと思います。
私は、このことから次第にこの曲のリズム構造について色々と思うようになりました。けれども、音楽家が自分の楽器を手にし、この音楽に相対するとき、必ず力いっぱいに弾き始めたい気になり、聴衆の人もそれを待っている。そんな気にさせる重厚な音楽です。しかし、それでも何かがおかしくなっていると思います。私には、不自然なことを大多数の人間が同時に信じた戦争前のような時代の空気が感じられます。そうであっても、だれも困らないし、世界が悪に向かうわけでもありませんが。何か人々が理性的に判断する力が狂っているようなことはどうにも不気味です。また、理性を芸術を感知し創造する感性と、対立するもののように考える考えにも反対です。
この曲の重厚さ、深い精神性はそんな後期ロマン派の人たちのような身振りをしなくても、あるがままの形(構造)でそこにあるものと思います。
・響きの好みに関して
私のシャコンヌを聴いて、人が特徴としてすぐに分るのは、ギターの響き、響かせ方の私特有の嗜好の点だと思います。不協和音程であっても沢山の弦を同時に鳴らしピアノのペダルと似た効果を得ることです。まして、分散和音はどんな無理をしても可能な限り同時に響きが得られるようにしています。確かにそのために相当な技術的な労力を費やしてはいますが、この曲に関しては、それはあまり重要なこととは思っていません。この2・3年高田元太郎さんの演奏を何回か聴きましたが、高田さんも私と同じ響きに対する嗜好があるようで、驚き、喜んでいます。
・色々なところを出来るだけ明晰な形にしてみました。
*C22〜C29の分散和音
人にベーレンライター版を貸してしまって元の譜がないので正確に書けませんが、
ここは大体4分音符の3声の和音だけが書かれているところです。ここはバッハの指定ではもちろん自由な即興演奏のようなものでいいのだと思います。けれどもバッハのやることなので声部書法的に処理したいと思いました。
原則、32分音符のアルペジオで 低声・中声・高声・中声 の順番に並べてそれぞれの声部が安定して聴こえるように心がけました。ただしC22の1・2小節目だけはヴァイオリンの伝統的弾き方を踏襲し、中声を最初に持って来ました。その方が面白いと思ったからです。また旋律的にもC21からの連結の仕方が良いからでもあります。上例の部分の第1パートのみ8分音符で書くと次のようなメロディーになります。
因みにC23のメロディー「レラシ│ドシラ│シラソ│ラ」はC25の上声、C26の中声に受け継がれて、
のようになります。
*C40〜C43:ラララー、またはララララー、またはレレレレーのメロディー
ここのよく目立つモチーフは2拍目がどうしても2分音符だと思えるので、そのように弾くことにしました。ヴァイオリンではそれは技術的に不可能だと思いますがギターは頑張ればそれに近いことはできそうなので、出来る限り頑張ってみました。
譜例が二短調になってしまいすみません、直すのが大変なのでこのまま失礼します。
*C51とC52のアルペジオ
ここはヴァイオリニストの人は伝統的に
のように弾いていますが、これはヴァイオリンのドッペルを美しく聴かせるためと思われるけれども、ギターにとっては、セゴヴィア版のようにそうしてもメリットが感じられないので、曲の単純化と統一性のために前と同じ32分音符のアルペジオにしました。
*C57〜C59 保続音のラ
ここは2段譜にして保続音とメロディーを分けて書くべきところと思います
ここは普通に弾いても難しいところですが、保続音とメロディーを分離するために、保続音の方は苦し紛れにE弦19フレットのハーモニクスを使って弾くことにしました。さらにサイクルの頭でE弦解放弦を使うのでその直後はD弦12フレットを使うことにして、いくら練習しても中々うまくひけないところです。