曲目解説ではなく、プログラムについてのおしゃべり 石村 洋
1.7.オープニングとエンディングテーマについて
「ギターとひととき」は、ギター曲の中で1番人気のある愛のロマンスで始め、2番人気のアルハンブラの思い出で終わることにしています。アンコールのお声は、きらきら星変奏曲が終わりアルハンブラの前にかけていただくと嬉しいです。また今回は桃原さんがいらっしゃるので、ギターの3番目に人気のあるアランフェス協奏曲の第2楽章も演奏します。また、ヴィラロボスの前奏曲第1番はその次くらいよく演奏される曲です。私のコンサートはいつも難しい現代音楽や芸術音楽ばかりをやっていて、みんなの知っている音楽をやらないというので敬遠される方が多いのですが、それは全くの誤解です。現代音楽や芸術音楽を含め私の演奏する音楽はいつも、普通の人の心に親しみやすく訴えてくる音楽ばかりで、昔から難しい音楽はほとんど何一つやっていませんのでどうか嫌わずに頻繁においで下さい。これが私の心からのお願いです。
2 横尾幸弘の世界@
昨年の年末に亡くなられた横尾先生を偲んで演奏したいと思います。白い木綿の着物に袴。そんな姿が思い浮かびます。戦後日本ギター界で多くのギタリストに慕われインスピレーションを与え続けたギタリスト。真にみんなから愛される日本のギター曲というジャンルを確立した作曲家。多くの側面を持ち、懐の深い方だったので私が紹介できるのはこの程度なのが恥ずかしい気持ちです。私の師の奥田紘正と無二の親友だったので、子供の頃からいつも発表会に来てくださり、色々可愛がってくださいました。大人になって、私が哲学を研究し音楽活動の行動原理にしようと思っていることを話した時も |
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日本人の音楽家で哲学のある人はほとんどいない。それはいいことだと思う、といっていただきました。また現代の前衛的音楽を演奏したときには「私は前衛音楽は好きではないが、あなたのはいい」とも言っていただきました。私の演奏したさくら変奏曲、楊柳ともに手放しでお褒め下さり、そのときの印象からか、還暦記念コンサートでは先生のご指名でみんな揃ってを弾かせてもらいました。アイルランド民謡は先生のお弟子さんだった山本福祉さんのおすすめで弾きます。
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3.アンドレス・セゴヴィア(1893−1987)と作曲家たち@─エイトル・ヴィラロボス(1887−1959) 現代の優秀なギタリスト作曲家たちを紹介する「ギタリスト村の紳士録」というコーナーは今回はお休みです。その代わり、セゴヴィアと作曲家たちというシリーズを始めます。現代のギターを弾く人はすべて何らかの形でセゴヴィアの影響下にあるといってまず間違いないと思います。けれども昭和の始めごろ初来日して以来半世紀以上もの長い期間、わが国ではギターを学ぶ人はセゴヴィアを神のように崇拝の対象として崇めなければならない時代が続きました。私には居心地の悪い時代でした。私がセゴヴィアを尊敬する理由はそれとは少し違うように思います。
セゴヴィアは様々な意味でギターの楽器とギター音楽の近代化に尽くした人でした。音楽の世界では19世紀からあらゆるジャンルで猛烈な勢いで近代化が進行しましたが、ギターはその動きから極端に遅れをとっていました。それを孤軍奮闘して追い掛けていったのがセゴヴィアだと思います。少々専門的な話になりますが、ギタリストは爪を使って弾きはしますが、爪で弾いているのではありません。その爪を用いたタッチを極限まで洗練させ、ナイロン弦を積極的に普及させたことはギターの音質に関する近代化でした。私はそれをセゴヴィア・トーンなどという感傷的な言葉で表現したり、誰にもまねの出来ない技などと神秘化したくはありません。セゴヴィアは自分の方法を後から来る人が学び、乗り越えていくことを望んでいたのは明らかです。「100年後ギターの世界がどんな新しい世界になっているか楽しみだ」とも言っています。
近代的資本主義経済の時代、マスメディア、マスプロダクションの時代に対応した演奏活動。セゴヴィア自身の音楽的傾向が否応無くスペインの民族色に彩られてはいても、ギターを民族音楽の領域から普遍的音楽の方へ方向付けることに全力を尽くし、そのように発言してきた人でもありました。弟子と見られているジョン・ウィリアムスは紛うとなく超一流の近代的音楽語法を身につけた音楽家ですが、セゴヴィアとは反対にラテン民族の音楽の中にギタリストのアイデンティティーを見出そうとしていることは私には悪い冗談としか思えません。
リョベート、デラマーサ、プジョールなど同時代の一流のギタリストは作曲家でもありましたが、セゴヴィアは専らギターの演奏法の向上に努めました、これは期せずして作曲と演奏の分業制という近代音楽のあり方と一致しました。そうしてその分業制が実際に功を奏するために、当時の一流の専門的作曲家たち、しかも少なからぬ数の作曲家たちとの協力体制を築き上げたました。
ブラジルの作曲家ヴィラロボスはセゴヴィアに協力した作曲家の中で突出して大きな存在です。今日に至るまでラテンアメリカの生んだ最大の作曲家であり、大作曲家の系譜の中に名を連ねる人かも知れません。また、専門的作曲家の中では珍しく、ギター演奏の素養のあった人でもあります。一流の専門的作曲家でギターを多少なりとも弾けたかもしれない人はシューベルトなど5・6名くらいしか思い浮かびませんがヴィラロボスは断然うまく弾けたのだと思います。「セゴヴィア自伝」の中に、ヴィラロボスと同席したとき「僕もギターが弾けるよ」といってセゴヴィアのギターをむんずとつかみ、一同が唖然として見守る中、荒々しいタッチで弾きまくった話が出てきます。今日のプログラム中、前奏曲集はセゴヴィアと出会う前の作品、練習曲集はセゴヴィアに献呈された作品です。
4 楽しいギターのお稽古 D
ギターを学習している人が練習する曲を紹介します。コンサートで弾かれることはほとんどありませんが、私を含めギターが生活の中にある人々の日常の音楽を垣間見ていただきたいと思います。プログラムの脇に
D とあるのは、同じ話題で5回目ということです。ブランテルはロシア人でカチューシャの作曲者として有名です。けれどもブランテルの子守唄は日本のギターをたしなむに人にとっては横尾先生のギターの小品として余りに有名です。私の好きな人(ミ・ファヴォリータ)はスペインでは、日本人が愛のロマンス弾くように誰もが弾くそうです。
5.お友達紹介C──オーボエの桃原健一さん
こんな名前で生まれたかったと思うような素敵なお名前ですが、とうばるさんといいます。ご両親は沖縄の出身だそうです。もう30年以上前になりますが私は横浜に住んでいましたので、横浜繋がりで色々な音楽家と知り合いになることが出来ました。桃原さんと知り合ったのはそんなに前ではありませんが、もうかれこれ15・6年位にはなるものと思います。最初お会いした頃、自動車の運転と腕時計がお好きだっだことを覚えていますが、近頃はどうなのでしょうか。私も尊敬し大好きな世界的作曲家の尹伊桑や篠原眞のしかるべきコンサートに選ばれて、演奏するなど、素晴らしい音楽家です。
イベールは1890年生まれのフランスの作曲家で、私はこの人の木管五重奏曲というのが大好きです。兎も角、管楽器の魅力を引き出すのが絶妙にうまい作曲家だと思います。管楽器奏者の桃原さんはどう思っていらっしゃるでしょうか。以前、桃原さんにお願いしてイベールの物語というピアノ曲からのアレンジを一緒に演奏していただき大変楽しい思いをいたしました。間奏曲は原曲が多分フルートとハープのために書かれているのだと思いますが、ギター伴奏版は作曲者自らの編曲だと思います。イベールはギターが好きだったようでギターを含む曲が何曲かあります。ギター独奏のためのフランセーズという曲を私が20歳の時にデビューリサイタルで弾いたのは多分、日本初演だったのだろうと思います。
アランフェス協奏曲の第2楽章のイングリッシュ・ホルンの独奏部分が有名ですのでお願いしました。オーボエの仲間でアルト音域の楽器イングリッシュ・ホルンをフランス語でコール・アングレと言うのだということも私は、桃原さんから教わりました。 ピアソラのタンゴの歴史は、アルゼンチンでタンゴが社会の底辺から生まれ、次第に芸術的に高められていく歴史を描いた組曲です。そこには、自らタンゴの歴史を生き、周囲の無理解と戦いながらタンゴを芸術的に高めていくように力を尽くしたピアソラの矜持が感じられます。カフェはドイツ系移民の人たちがバンドネオンを伝え、タンゴの中心楽器として定着する1930年ごろのタンゴに思いを馳せた曲だと思います。
6.私のライフワーク、大作曲家の音楽よりD
私のライフワークとして大作曲家の音楽をギターで弾いてきましたが、そんな精神と肉体の限界を超えるような超絶技巧を必要とする音楽を、世間の注目を浴びることも無くあと何年できるのか。けれども弾きたい曲はいっぱいあるので出来るところまでしたいと思います。モーツァルトのピアノ・ソナタや変奏曲だったら全曲演奏できる気でいましたが、その計画は一向に進んでいません。今はベートーヴェンとシューベルトのピアノソナタを可能な限り弾きたいと思っています。また、ライフワークの一環としてこのほどバッハのフルート・ソナタ全曲のピアノ伴奏パートがめでたく弾けるようになりましたので秋にはフルーティストの平田公弘さんとバッハ・フルート・ソナタ全曲・連続演奏会を行います。どうか皆様の予定に入れておいてください。
クラシックギター(6単弦ギター)は多分、北イタリアで1760年〜1770年くらいの間に開発されたのだと思いますが、あまり詳しいことは私には判りません。この辺りのギター史の一番肝心な事柄に関しては横浜のギタリストの興津典明さんがかなり掘り下げて研究していますので、知りたい人は興津さんのコンサートなどに行ってみてください。ところで、私が申し上げたいのは、それ以来250年の間ほとんどギター音楽はほとんどギタリストが作曲してきたということです。器楽に関しては演奏家が作曲するということは20世紀初頭くらいまではごく普通のことだったと思いますが、自分で演奏しない楽器の音楽や合唱曲や合奏曲など自分一人で演奏できない音楽をを作曲する専門の作曲家という職業は中世以来、確かに存在したことと思います。
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